
情報紙 SECOND
SECOND Column Page
家具屋の思い出話
(50)「天草へ」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史
朝9時半に電話が鳴った。名前を見ると配送業者だった。こういう時は良い話は無い。案の定今配送に行っているがベッドの組立金具が入ってないとの事だった。「どこの物件ですか?」「上天草です。」一瞬心が凍った。よりによって遠い。「明日また行ってくれますか?」「いいえ、明日は行けません。」「わかりました。こちらからお客さんに連絡をして今日伺います。」それから急遽助っ人を頼み商品を準備し、金具を確認し、天草へ行くこととした。当然上天草は遠くそれ以上にお客様に迷惑をかけていることが一番気にかかった。道中助っ人とまずはお客様に心から謝る。それから完璧に組み立てようと話し合った。上天草からわざわざお越しの上買っていただいた商品を組み立てようとした時に、金具が入っていないとは。しかし担当者に事情を聞くと検品して1つのネジが不良だったので交換しようとネジが入っている袋ごと出して失念しましたとの事だった。そういう時はこれから箱に金具無しと書いておくんだよと言い飛び出した次第だ。上天草へは高速で熊本を過ぎ松橋から266号線に出て三角港を目指し、そこからひたすら海沿いの一本道を走った。途中の景色は目に入っていなかった。2時間半掛けて着いてすぐにお客様に頭を下げた。すると「いいんですよ。わざわざ来てもらってごめんなさいね。」思わぬ声をかけてもらった。心から申し訳なく思い作業に入る。慎重にそして完璧に組み上げるように気を配った。こんな作業を毎日している配送業者の方に頭の下がる思いがした。作業中に電話が鳴る。「今日はお客様が多くて手が足りません。後どのくらいで帰ってこれますか?」「今作業中だから帰り着くには3時間はかかるよ。わかった、じゃあもう一人そちらに行ってもらえる助っ人を手配する!」こんな時に・・・いやこんな時だからこそこうなるんだと思う。ベッドの組み立てが終わりお客様に確認していただくとありがとうと言われた。こんなに対応してくれてほんとにありがとう。実は店に伺った時は主人がぎっくり腰でそれでベッドを探したんだけどこのマットレスから起き上がった時に腰が痛くなかったからこれを選んだんです。その時とても素敵な接客をしてくれて本当に助かりました。お礼を言っておいてくださいねと。申し訳ございませんでしたと謝り帰路についた。帰り道助っ人と、いいお客様だったね。頭が下がったね。こんな言い方したら失礼だけど来てよかったね。心からありがたいと思った。往復5時間の時間をかけてお客様は来てくれたんだ。わざわざうちの店を選んで買っていただいた。これからもっと心からの接客をしよう。心からの検品をしてお客様に喜んで使っていただける家具を届けようと思った。帰りに初めて海を見て天草は綺麗なところだねと思った。
家具屋の思い出話
(49)「ケンちゃん」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史
僕はケンちゃんが好きだ。ケンちゃんと言う名前の響きが好きだ。中学2年で転校した学校にケンちゃんがいたが、こいつは相当不良だった。
でも僕はケンちゃんと呼びたくて、その子と友達でいた。まぁ名前が好きなだけだったから、深い友達ではなかったが二人が一緒に居るのを同級生は不思議がった。しかしそんな事はどうでも良かった。ただケンちゃんと呼びたいだけだったから。ケンちゃんと呼ぶ瞬間にきっと僕は心の中の理想のケンちゃんに会っていたんだと思う。今の職場にもケンちゃんがいるが、さすがにこの年でケンちゃんと呼べるはずもなく、時々優しくしてもらった時にそっとその人の背中に「ありがとうケンちゃん。」と呼んでいる。彼は知る由もないだろうが。僕の母方のいとこに最高のケンちゃんがいる。このケンちゃんは高校生の頃、バイク事故で、左足の膝から下をなくした。僕の母方の親戚は、なんだかいつも明るくて、その代表のような人柄がケンちゃんだ。正月にみんな集まってコタツに入っていた時、「そろそろ出かけるよ。」と呼ばれたケンちゃんは「ちょっと待って、足をつけるから。」とおもむろに義足を出してみんなを笑わせた。嫌味でなく、悲しそうでもなく、さりげなく笑わせる。彼流の優しさ。子供の頃のケンちゃんはおじいちゃん子だった。学校から帰るとじいちゃんと将棋を指し、休みの日は一日中一緒に川に釣りに行っていた。そんなケンちゃんは飯塚から家族全員で縁もゆかりもない埼玉に引っ越して行く。それからしばらくして大好きなじいちゃんが亡くなった時、身内ばかりの葬儀の場でケンちゃんが挨拶をしたいと言いだし皆もそれがいいとなった。かしこまり静まり返った中で彼は言った。ひと言ひと言大好きだったじいちゃんを思い言った。「本来ならば本人がここでご挨拶をしなければならないところですが、何分、既に棺桶の中で寝ておりますので私が代わりまして、ご挨拶をさせていただきます。」参列者は一斉に下を向いた。泣いていたんじゃない。肩をふるわせて笑っていた。彼は多分あの時、大好きだったじいちゃんの悲しい葬儀が大嫌いだったんだ。顔を上げた皆の顔に安堵の表情が浮かんでいた。それでいいんだ。これがいいんだ。都会に流れついた一塊の親戚が身を寄せ細々と一生懸命生きている中で、ケンちゃんの流儀が皆の心を軽くし、じいちゃんを見送るけじめをつけさせた。ケンちゃん。ちゃんがつく名前でこんなに爽やかな名前を僕は知らない。ケンちゃんは、呼びやすく、聞きやすく親しみがあり、良い人そうだ。良い人そうな意識はたぶんいとこのケンちゃんの雰囲気が僕に刷り込まれているからに違いない。兄貴からこの前いとこの悦ちゃんと栄子ちゃんとケンちゃんに会って来たよと連絡があった。それを聞いて僕も無性にケンちゃんに会いたくなった。そろそろケンちゃんに会いに上尾に行こう。そう思ったのは近頃僕が心からの笑いに飢えているからだと思う。
家具屋の思い出話
(48)「臭い話」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史
近頃、M&A=(企業の合併や買収など)いろんな話が耳に入ってくる。事業継承などいい事もたくさんあるんだろうが胡散臭い話もある。資金力のある会社がメーカーなどを買収すると当然買収された会社に更なる収益を求める。買い取った方から派遣された役員は必死に利益を出そうと売れ筋商品に特化していき、それから外れる商品は軒並みなくしていく。セブンイレブン方式とでも言おうか、売れる物だけに注力し売れない物はラインナップから外す。そうなるとそのメーカーからは何故か魅力を感じなくなる。面白くない、楽しくない品揃えになりそのメーカーの特徴が消えていく。僕はそう思う。現に買い取られた雑貨メーカーからはブリキのおもちゃなどワクワクする面白いものがなくなっていった。なんだかそれでいいのかと疑問が湧く。何故社内の開発チームなど楽しい仕事をしていた人達に苦しい仕事ばかりをさせるのか?仕事が楽しくない。仕事が苦しい。何のために働いているのか。以前はお客様の喜んでいただく顔が見たくて、とても良い仕事を選んだものだと思っていたのに「これ楽しくないですか!」とお客様の期待に応えられる商品をたくさん作ってきたのに。そう思って仕事をしている人がたくさんいるんじゃないだろうか。野球のピッチャーだってストライクばかり投げればいいってもんじゃないだろう。時代の流れと言ってしまえばそれまでだろうけど。収益ばかりが重んじられて本屋が田舎町から消えている。僕の住む町に本屋はない。勿論本はAmazonで買える。自分も買っている。しかし本屋でなければ出会わない本がある。ネットでは絶対検索しない、自分の範疇ではない、偶然出会わないと手に取れない本。そんな本が本屋にはたくさんあった。それが本屋の魅力だった。偶然見つけた本にどれだけ喜ばされただろう。本屋がなくなって私の好みをデータから勧めてくるAmazonでは到底買えない本に出会う喜びを見つける事が近頃出来ない。
その昔手に取って思わず買ってしまった本があった。その本には「おなら」の川柳が綴ってあった。話の都合上「屁」と表現するのだけども、屁の本の話。屁の話の本なんて自分でどうやって探して買うと言うんだ。そこにあったから買えたんだ。所謂いらない知識なんだけど、こう言う本を書く人がいるのが楽しく、その含蓄や蘊蓄がとても面白かった。屁の川柳を書いた本なんてAmazonでは到底辿り付かないはずだ。その屁の川柳の中で私が覚えているのは「風呂の屁は 背中伝いに 駆け上がり」「丸く出て 四角に匂う 炬燵の屁」「ズボンの屁 右と左に 泣き別れ」などがあるのだが、僕の記憶の中で断トツ一位に輝いているのは「屁をへって おかしくもなし ひとり者」だ。何もない怠惰な情景。幸せではないが不幸せでもない時間が一瞬にして目の前に広がる。独り者・・・意味は違えど経営者はいつも一人で孤独なんだ。なんて思う自分が誰よりも一番胡散臭いのだが。
家具屋の思い出話
(47)「旭川出張〜東京から旭川〜」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史
旭川に8時半に着きたいから、羽田の出発は7時の便になると言われ、東京に前泊した話の続きになるが、どこででも顔が広く、頼れる東京の友人が作ってくれたスケジュールは驚くほどタイトだった。東京旭川2泊3日の旅。7時出発ということで、とりあえず羽田で6時に合流した。10時に家具の大手メーカーに到着し、そこであらかじめエントリーしていたファクトリーツアー(製造工場見学)10時半より11時半の部に参加し、それから12時まで展示場を見て回り昼食。その後13時から14時。14時半から17時展示場の各社ブース参照など目まぐるしかった。夜の食事処まで決まっているし、既に予約もしてあった。2日目も同様に8時半からスケジューリングされていた。よほど8時半スタートが好きなのかと思った。3日目は、午後の帰り便前まで自由計画と書いてあるが、フリータイムというわけではなく、列記されているメーカーや観光先のどれかを選ぶという自由であった。初日の昼は当然旭川でうまいとされている味噌ラーメンに立ち寄った。涼しいはずの旭川のこの日は気温34度。九州よりも暑い。そこにラーメンの辛さも相まって、ラーメン丼に入浴中くらいの汗が吹き出る始末。食べ終わり外に出るとなんと涼しい風がと思っていたが、何せ外気温34度まるでサウナだった。タイトなスケジュールの中にも、彼は顔の広さと心の優しさを充分発揮していた。旭川を回るために予約していたレンタカー屋に、訪れる各メーカーに配るというお土産を東京からたくさん送り込んでいた。この気遣いが人を虜にし、会う人会う人が優しく、彼に紹介されて初めて挨拶する私にまで優しく接してくれた。そういえば彼は旭川をもう何度も訪問し、最初のファクトリーツアーも経験済みのはずなのに、私に見せるべく一緒に歩いてくれた。工場見学など失礼ながら何度見ても変わり映えはしないはずなのに、そんな事はおくびにも出さず、暑さの中ひょうひょうと、時に初めて聞くように説明する工場の人の言葉に頷いていた。自分の言葉が伝わったと思ったのだろう。説明してくれていた工場の人は少し自分の仕事に誇りを持っている風情で彼を見上げていた。語弊があると思うが、旭川のメーカーはどこよりも家具造りに真摯に向き合っていると思う。良い家具を作りたいという姿が見えるのである。良い家具とは何か?「安いが善」と言わんばかりのすぐにこわれそうな作りの粗い椅子や箱ではなく、緻密で使いやすく飽きが来ず、手触りがすごく良い家具ではなかろうか。但し価格は少し高くなる。北海道には水楢や樺の木はまだまだあるのだが伐採されている木の95%はチップにされ燃料にされていると言う。樹齢数十年の水楢もお構いなしにチップにされている。そんな木々をもっと活かしたい。もっと良いものを作って日本に届けたい。その言葉に嘘はなく、皆が真剣にそう言っていた。横で聞いていた東京の彼はこの言葉を僕に聞かせるために旭川に連れて行ってくれたんじゃないかと今思っている。
家具屋の思い出話
(46)「旭川出張の旅、その途中の東京」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史
去年の10月、東京から大川の家具の展示会に来た友人と語らった時に今回は僕が九州に来たんだから次は君が来る番だけれどどこに行きたいと聞かれたので今年の3月位に富山に行きたいと言っておいた。何せ富山は酒も魚もうまいと有名で、僕はいまだ行ったことがなく、これはチャンスじゃないかと心躍らせていた。しばらくして彼から3月の富山は交通の便が悪く九州からも東京からもちょっと大変だから、いっそ6月に「Meet up Furniture Asahikawa2025」を開催する「家具の聖地・旭川」 に変更しないかと言われた。富山とは全然違う北海道!ま、正直北海道にも行ったことがなかったし家具産地旭川にも興味があったのでそれもありだなと納得して6月の旭川行きに変更した。彼は早速スケジュールを送ってきたが「なんじゃこれは?」と言いたくなるほどの緻密なスケジュールだった。2泊3日の旅、初日7時羽田出発と書いてある。朝7時羽田発の便に乗れるものが博多からあるはずもなく当然私は東京前泊となる。
しかも朝6時には羽田に居ないといけないとなるとどう考えても浜松町界隈にしか泊まれないのである。第一、旭川でのスタートが8時半という時点で流石東京の奴は日が昇るのが早いんだなと感心させられる。しかし富山は交通の便がとか言っていたが旭川も遠いのである。富山で良かったんじゃない~とかすぐに思ったが、ピンチはチャンス!せっかく東京に泊まるならちょうど今東京にいる息子と飯でも食おうと思いたち、息子の了承を得て昔筑後でお世話になったお寿司屋の息子さんが働いてる西麻布の寿司屋を訪ねることにした。予定通り翌朝の事を考えて浜松町にホテルを取りタクシーで店に向かった。車窓から見える景色は筑後の田舎者には眩しく、このまま居ると自分を見失うんじゃないかと思ってしまう。いや、以前は町田にちょっと居たし筑後に住んでからも毎年東京には来ていたがここ数年はご無沙汰で東京の街の変化は理解していたつもりでもこの変わり方は思いを超えていた。電話で教えてもらったその店は一見を寄せ付けないように地下にひっそりとあった。道路に案内板も看板もなかった。地下に降りても暖簾も下がっていない。覚悟を決めて扉を開けると懐かしい顔が見えた。博多限定のひよこと皇室献上の鶴の子を差し出しながら「しばらくぶりやね。立派になられて東京に染まりんしゃったね~。」と冗談を飛ばした。横に自民党のお偉いさんが座っているのも知らずに。彼はありがとうございますと笑っている。「先ずはビール」と息子と飲んでいるとウニとカニの上にキャビアが乗った一皿を出しながら「最初からこんなの出してすいません・・・東京に染まっちゃって」と、彼ははにかんだ。何もかも東京だった。ホテルに向かう帰りのタクシーでこんな街にいるだけで自分が偉いと勘違いしちゃいそうだなとちょっと思った。