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​情報紙 SECOND

SECOND Column Page

家具屋の思い出話

(47)「旭川出張〜東京から旭川〜」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史

旭川に8時半に着きたいから、羽田の出発は7時の便になると言われ、東京に前泊した話の続きになるが、どこででも顔が広く、頼れる東京の友人が作ってくれたスケジュールは驚くほどタイトだった。東京旭川2泊3日の旅。7時出発ということで、とりあえず羽田で6時に合流した。10時に家具の大手メーカーに到着し、そこであらかじめエントリーしていたファクトリーツアー(製造工場見学)10時半より11時半の部に参加し、それから12時まで展示場を見て回り昼食。その後13時から14時。14時半から17時展示場の各社ブース参照など目まぐるしかった。夜の食事処まで決まっているし、既に予約もしてあった。2日目も同様に8時半からスケジューリングされていた。よほど8時半スタートが好きなのかと思った。3日目は、午後の帰り便前まで自由計画と書いてあるが、フリータイムというわけではなく、列記されているメーカーや観光先のどれかを選ぶという自由であった。初日の昼は当然旭川でうまいとされている味噌ラーメンに立ち寄った。涼しいはずの旭川のこの日は気温34度。九州よりも暑い。そこにラーメンの辛さも相まって、ラーメン丼に入浴中くらいの汗が吹き出る始末。食べ終わり外に出るとなんと涼しい風がと思っていたが、何せ外気温34度まるでサウナだった。タイトなスケジュールの中にも、彼は顔の広さと心の優しさを充分発揮していた。旭川を回るために予約していたレンタカー屋に、訪れる各メーカーに配るというお土産を東京からたくさん送り込んでいた。この気遣いが人を虜にし、会う人会う人が優しく、彼に紹介されて初めて挨拶する私にまで優しく接してくれた。そういえば彼は旭川をもう何度も訪問し、最初のファクトリーツアーも経験済みのはずなのに、私に見せるべく一緒に歩いてくれた。工場見学など失礼ながら何度見ても変わり映えはしないはずなのに、そんな事はおくびにも出さず、暑さの中ひょうひょうと、時に初めて聞くように説明する工場の人の言葉に頷いていた。自分の言葉が伝わったと思ったのだろう。説明してくれていた工場の人は少し自分の仕事に誇りを持っている風情で彼を見上げていた。語弊があると思うが、旭川のメーカーはどこよりも家具造りに真摯に向き合っていると思う。良い家具を作りたいという姿が見えるのである。良い家具とは何か?「安いが善」と言わんばかりのすぐにこわれそうな作りの粗い椅子や箱ではなく、緻密で使いやすく飽きが来ず、手触りがすごく良い家具ではなかろうか。但し価格は少し高くなる。北海道には水楢や樺の木はまだまだあるのだが伐採されている木の95%はチップにされ燃料にされていると言う。樹齢数十年の水楢もお構いなしにチップにされている。そんな木々をもっと活かしたい。もっと良いものを作って日本に届けたい。その言葉に嘘はなく、皆が真剣にそう言っていた。横で聞いていた東京の彼はこの言葉を僕に聞かせるために旭川に連れて行ってくれたんじゃないかと今思っている。

家具屋の思い出話

(46)「旭川出張の旅、その途中の東京」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史

去年の10月、東京から大川の家具の展示会に来た友人と語らった時に今回は僕が九州に来たんだから次は君が来る番だけれどどこに行きたいと聞かれたので今年の3月位に富山に行きたいと言っておいた。何せ富山は酒も魚もうまいと有名で、僕はいまだ行ったことがなく、これはチャンスじゃないかと心躍らせていた。しばらくして彼から3月の富山は交通の便が悪く九州からも東京からもちょっと大変だから、いっそ6月に「Meet up Furniture Asahikawa2025」を開催する「家具の聖地・旭川」 に変更しないかと言われた。富山とは全然違う北海道!ま、正直北海道にも行ったことがなかったし家具産地旭川にも興味があったのでそれもありだなと納得して6月の旭川行きに変更した。彼は早速スケジュールを送ってきたが「なんじゃこれは?」と言いたくなるほどの緻密なスケジュールだった。2泊3日の旅、初日7時羽田出発と書いてある。朝7時羽田発の便に乗れるものが博多からあるはずもなく当然私は東京前泊となる。

しかも朝6時には羽田に居ないといけないとなるとどう考えても浜松町界隈にしか泊まれないのである。第一、旭川でのスタートが8時半という時点で流石東京の奴は日が昇るのが早いんだなと感心させられる。しかし富山は交通の便がとか言っていたが旭川も遠いのである。富山で良かったんじゃない~とかすぐに思ったが、ピンチはチャンス!せっかく東京に泊まるならちょうど今東京にいる息子と飯でも食おうと思いたち、息子の了承を得て昔筑後でお世話になったお寿司屋の息子さんが働いてる西麻布の寿司屋を訪ねることにした。予定通り翌朝の事を考えて浜松町にホテルを取りタクシーで店に向かった。車窓から見える景色は筑後の田舎者には眩しく、このまま居ると自分を見失うんじゃないかと思ってしまう。いや、以前は町田にちょっと居たし筑後に住んでからも毎年東京には来ていたがここ数年はご無沙汰で東京の街の変化は理解していたつもりでもこの変わり方は思いを超えていた。電話で教えてもらったその店は一見を寄せ付けないように地下にひっそりとあった。道路に案内板も看板もなかった。地下に降りても暖簾も下がっていない。覚悟を決めて扉を開けると懐かしい顔が見えた。博多限定のひよこと皇室献上の鶴の子を差し出しながら「しばらくぶりやね。立派になられて東京に染まりんしゃったね~。」と冗談を飛ばした。横に自民党のお偉いさんが座っているのも知らずに。彼はありがとうございますと笑っている。「先ずはビール」と息子と飲んでいるとウニとカニの上にキャビアが乗った一皿を出しながら「最初からこんなの出してすいません・・・東京に染まっちゃって」と、彼ははにかんだ。何もかも東京だった。ホテルに向かう帰りのタクシーでこんな街にいるだけで自分が偉いと勘違いしちゃいそうだなとちょっと思った。

家具屋の思い出話

(45)「ヤクルト球団‥つば九郎をしのんで」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史

なんでこんなところにつば九郎が入ってるの?愛する妻は、バックの中からつば九郎をつまみ出した。そのちっちゃなバットを担いだつば九郎は傘の頭(石突)につけるものだった。知らない人のために言うと、日本プロ野球機構に所属するセリーグの球団「東京ヤクルトスワローズ」の偉大なるマスコットがつば九郎である。球場での応援では点が入った時など東京音頭に合わせ緑や青の小さなビニール傘をさして回す。その傘の上につけるつば九郎のマスコットがあるんだ。それは以前東京から来たヤクルトファンにもらったものだった。試合が終わった後彼は僕の方を振り向いて「これは神宮球場でしか売ってないんですよ。」と言ってプレゼントしてくれた。ヤクルトファンが疎らな福岡ドームでずっと大声で叫んでいた

から、いや声は地声で響き渡り目立ったのかもしれなかったが、優しい心遣いが何より嬉しかった。交流戦はセパ、両リーグのチームが1年ごとに本拠地で交流する。去年ソフトバンクと対戦するためにヤクルトがやってきた。それを応援するために行った帰り、リュックに入れたままになっていたんだろう。去年その時はまさかつば九郎がいなくなるなんて思ってもいなかったし、本物に会えただけで嬉しかった。1994年に生まれたつば九郎。妹のつばみは1999年生まれだ。つば九郎のフリップ芸は、人の心を動かし時に感動させる。人柄のなせる技だった。ヤクルトを応援しているがめったにヤクルト戦を見ることはない。交流戦は一年ごとに対戦相手の本拠地で行われるので今年は神宮だったし、2軍戦でも見れるかというと2軍は西と東に分かれて戦うので筑後のファームにイースタンリーグに所属するヤクルトが来ることはない。だから九州でヤクルト戦を見るとすれば2年に一度の交流戦かヤクルトとソフトバンクが勝ち上がった時の日本シリーズとなる。ヤクルトは今セリーグで断トツのビリッケツなのでもう今年は神宮に行かないと見ることはできないだろう。何故僕がヤクルトを応援しているかと言うとその昔ヤクルトスワローズは国鉄スワローズとして誕生しており僕の親父が国鉄職員だった事がその理由となる。福岡ならソフトバンクホークスさ!という皆さん、福岡の球団は源流が西鉄ライオンズであり、ホークスは元は大阪の球団でしたのよと伝えたい。だから今だに所沢に行ってしまったライオンズを応援している福岡のちょっと変な人も見かけるし、とはいえ僕も変な人であることは勿論自負している。しかしスワローズファンはどの球団よりも優しい。年間70敗以上はザラで突然10年振り位に優勝してしまう年以外はずっとビリッケツあたりが定位置なのに慌てないし怒らない。多くの球団がジェット風船を飛ばす時スワローズは東京音頭で傘を回す。紳士的でごみを出さない。では何故傘を広げて回すのか?あまりのファンの少なさに傘を広げて回す事でたくさんいるように見せかけたのが始まりらしい。何と微笑ましく穏やかなことか。愛すべきヤクルトスワローズ。でも正直言うと近頃僕はスワローズより断然「つば九郎」に心を奪われていた。もう一度でいいから、会いたい・見たい・・・つば九郎。

家具屋の思い出話

(44)「伯楽屋」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史

「なぜ伯楽星の空瓶がここにあるんですか?」酒屋のおかみさんに尋ねた。「そーよね。おかしかよね。うちは繁桝特約店とにね。」「息子が東京から持って帰って来たと。これがおいしかったとよ。知っとると?」「なんで知っとると?」「はい。僕も飲んだことありますよ。おいしいですよね。」「おいしかよね~。」その日行きつけの酒屋に行き、繁桝大吟醸50や麹屋純米吟醸などの銘柄を選び買って帰ろうとした時、伯楽星の空瓶を見つけた次第である。昔、東京の友達を仕事がてら尋ね、一緒に丸の内界隈の店に入って偶然口にしたのが伯楽星だった。これはうまい酒だなと思った。宮城の酒、伯楽星。先日時々お邪魔してる寿司屋がインスタで「伯楽星入荷しました!」と挙げていた。よし頃合いを見て行ってみようじゃないか。こういう時はガツガツして、いそいそと行くものではない。寿司を食べに来たよ。ついでに伯楽星があるなら少しだけいただこうかしらくらいの姿勢で臨むのがいっぱしの大人なのだ。この寿司屋での私の食事の仕方は、邪道かもしれないが、河童巻を最初に注文してビールを飲む。それから野菜の煮浸しとか刺身を頼んで、頃合いよしと日本酒をお願いするパターンだ。その日もいつものパターンでそろ

そろ日本酒となり、あたかもついでのように「そういえば伯楽星があるよね」と冷静を装い尋ねる。(飲みたいんだよね~。本当は今日はこれを飲みに来たんだよね~。今日のメインイベントはこれなんだよねえ~!)と言う心の叫びを封じ込めつつも、目じりが下がりよだれが出そうになるが、何とか我を保ちドキドキ、ワクワクを隠し一言そう言った。「はいありますよ」と言う答えを期待して・・・。「伯楽星あるよね」と。ところが親父ちょっと顔を曇らせ「伯楽星でしょ~。隠してたんですけど、昨日のお客様が見つけちゃって・・・最後の2合、その人が飲んじゃって。なくなりました。お客さん、しばらくお見えにならなかったので、まぁいいかと思っちゃって…。」低血糖の症状が出たみたいに手が震え、ふわぁっと気が遠くなる。「でも、取ってたんですよ!酒瓶後ろの方に隠してたんですよ・・・」そのあたりの大将の言葉はもううっすらとしか聞こえていない・・・。我に返り思わず叫んだ。「嘘!そうなんだ。しょうがないな~」「じゃあ七田!この七田を二合!佐賀の酒もうまいもんね!」地元の酒、

繁桝愛好会の私が、狼狽えていた。たかが気に入った酒がないだけでこうも狼狽えてしまうのか。九州男児の矜持など微塵もない。大阪に居た時に言われた「小さい男やのぉ」が、まんざら的外れではない事が露呈してしまう。日本酒は、津々浦々いろいろな酒蔵がある。種別もいろいろある。飲み方にもいろいろある。常温、ぬる燗、冷酒など。とりわけその日の酒は全く別の切り口で言うところのやけ酒となった。数日後、酒屋のおかみさんが「言い忘れとったけど、ちょっと前あの寿司屋で伯楽星を呑んだとよ。やっぱ、おいしかった~。」と私に自慢げにメールしてきた。心の小さい私は未練たらしくしばらくやけ酒が続きそうだ。

家具屋の思い出話

(43)「唐津の旅」

Cozy Flat オーナー 仲 洋史

「雲仙に行くのよ!天草からフェリーに乗って行けば近いし。以前お義母さん達が行ってそれはそれはいいホテルだったと言ってたあのホテル。そうそうSHIORIが福引で当てたけど私達が行けなくて替わりにお義母さん達に行ってもらったホテルよ。私も行きたかったのよ!」息継ぎもせずにしゃべる妻に相槌の打ちどころを探すが、「お義母さんもだいぶ足腰が弱ってきたから今行っとかないと・・・。ね。」「一緒に行くでしょ!」幸せそうな妻の申し出に嫌とは言わせない圧を感じながらしばし考えたふりをして「そうだね。」と応える。もう義姉さんが速攻仮予約砲をぶっ放して部屋を確保している事は薄々感じている。みんなが幸せなら僕も乗っかるとするか。数日後お義母さんが骨を折ったという。当然旅行は中止になる。大体の流れではそうなるはずだが、したたかなこの愛する妻を含めた女性陣は言葉を巧みに変えてくる。「ねえ。義母さんは行けないけどSHIORIも就職が決まって卒業旅行って事で近場でもいいからどっか行こうよ!」君たちは政治家か!その巧みな言い回しにはほとほと感心する。「ねえ。雲仙はやめて唐津に決まったわよ!」出た!義姉さんの仮予約速射砲!第2弾。

「あなたが居るとシニア割でとっても安く泊まれるって!2部屋ともシニア割が使えるのよ!」完全に利用されている。あなたが居るとシニア割・・・の言葉に覚悟を決める。上等じゃないか!行ってやろうじゃないか!唐津・・・近いが程よい距離感。海を想像しながらイカでも食えばいいんじゃないかと自分を納得させていた。しぶしぶ行った唐津シーサイドホテル。福岡から来た姉妹組が先に着いていてしきりに電話をかけてくる。「今どこ?早く部屋にいらっしゃい!5階よ!海が見えるのよ!」当たり前だシーサイドのホテルで海が見えなくてどうする・・・。おっさんはいつも愚痴が多い。加齢は病気だ!と誰かが言ってたっけ。部屋に入った。ハイハイちょっとは海が見えるんでしょ!と思っていたら全面海!私の心は面食らった。部屋からこんなに海が見えるのか!心の中が空っぽになった。こんなにストレスフリーになったのは何年ぶりだろう。海の青と空の青が遠くで繋がっている。波の音が奏でる音楽は安らかな眠りに誘う。白い雲と島影が旅を充分に演出している。今ここに来れたことがどれほど幸せなことかと思わせてくれた。一人で来たのではない。一人では来れない。一人では味わえないこの幸せな時間を改めて感謝した。外に出て浜辺を歩いてみた。軋む砂。全てが心地よかった。思わずありがとうと声が出た。「ねっ来てよかったでしょ。」「そうだね。ありがとうね。」心からそう思った。いつもなら嫌な帰りの車の運転も心地よく胸の中が暖かく気持ちよかった。何より距離が良かった。家から2時間ばかり。ちょうどいい。唐津には文化がある。呼子にはイカがある。帰り着いてイカ刺しで冷酒。いやいや行って心が洗われた。唐津。

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顧問弁護士:ことまる法律事務所
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