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​情報紙 SECOND

SECOND Column Page

家具屋の思い出話

(32)「学生時代 アルバイト②」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史

 大学2年生の夏、僕はまだその電気屋でバイトをしていた。

 「おーい中洲の物件行く奴いないか?」バイトの連中に社員さんが訪ねていた。中洲?=美しい女性?=愛のトキメキ?…。愛のトキメキにそれまで一度も遭遇していなかった僕はそっと手を上げた。社員さんが笑っている。中洲を何にも知らない奴に限って行きたがる。そんな顔で笑っていた。まったくその通りで、到着した現場を見た瞬間、僕の期待は50%以上消滅していた。昼間の中洲はきらびやかではなくどちらかと言うとどんよりしていた。裏手の2階へ上がる階段は暗くせまく、登り詰めた奥のドアを恐る恐るノックしても誰も出てこない。期待に裏切られてげんなりしていた僕がもう諦めましょうと道具を持った社員さんに伝えようとした時、ギーイとドアが開いた。

 僕らはエアコンの調整でバーの2階に来たのだった。ドアが開いて入った部屋は、真っ暗で何も見えずしばらく玄関脇に佇むしかなかった。目が慣れて見渡すと壁には和服がズラリと掛けてあり化粧と酒とタバコと体臭の混ざり合った匂いが充満していた。何だかマズイ所に来ちまったな・・・。後ろ手でドアを開けた和服の女。広い畳敷きの部屋にやたら何かが転がっている。人?女?ドキドキして目を凝らすと人だった。でも女ではなかった。パンツ一丁の髪の長い女風の男達が爆睡していた。「とりあえずエアコン確認しますね〜。」喉カラカラの声でそう告げて社員さんと二人で本体とドレンパイプなど調整して終わらせた。ここは早くおいとましなきゃやばいぜ。僕が冷静を装いながらもそそくさと帰り支度をしていたその時、「終わったの?」先程ドアを開けてくれてまた布団に傾れ込んでいた人がおもむろに起き上がり声を掛けて来た。「あっ、はい終わりました。」僕は見てはいけない、居てはいけない場所から逃げ出そうとしていた。するとその人はコーラとコップを二人分差し出し「お疲れ様。ありがとうございます。」と誰とも比べようがない程しゃがれた声でそう言った。おかまバー。ここは当時そう呼ばれていた店の言わば寮みたいなところと言う事がようやく理解できた。淡い期待は木っ端微塵に砕け散ったけど、僕の心は熱くなった。優しさが染みた。きらびやかな夜の時が過ぎ、眠気まなこで剥げた化粧にヒゲが生え出した長い髪の人の中洲での生き様と、それでも精いっぱいの思いやりを忘れないその人の在りように何とも言えない奥深さを感じたのだった。帰りの車の中で「イヤーびっくりしたけど先輩中洲いいっすね。」「冗談じゃねえよ。中洲は夜来て、金払うもんよ。」そんなには年上でもない社員さんのくわえ煙草の横顔がこの時、妙に大人に見えた。

家具屋の思い出話

(31)「学生時代 アルバイト」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史
学生の頃、休みに入ると色々なアルバイトをした。1年生の夏休みに先輩に紹介されてやった電気屋さんのアルバイトは楽しかった。僕が行った店は西新商店街にあった。アルバイトの面接に行った日にいきなり今日から採用するから店頭で販売をしろと言われた。何だか雑な扱いだなと思いながらも店員の少なさが分かったのでとりあえず店頭に立ち、並べられた色々な商品を眺めてみた。その中では比較的高い扇風機を売ればいいんじゃないかと思い扇風機を色々触ってみた。風の強さは弱・中・強…後ろのボタンで回転する・・・どれもそれほど違いがなく、メーカーのロゴが違うくらいにしか思えなかった。その時不意にお客さんがすみませーんと言った。振り返ると店員らしき者は僕しかいない。満面の笑みではいと言うと、そのお客さんはすかさず「4枚羽根の扇風機と5枚羽根の扇風機はどう違うんですか」と、のたまう。さっきバイトの面接に来て店頭に立った僕にとって扇風機に対する知識はお客様!あなたと同じ程度です!とは言えず半泣きになる心と闘いながら全知全能を働かせ言葉を紡ぎ瞬時に笑みを浮かべる事を想い出し、伝えた。「はい5枚羽根の方が弱の時でも強の時でも風が優しいんですよ!」お客さんはほほぅとうなずき「それじゃぁ、5枚羽根の扇風機をいただくわ!」と買ってくれた。僕は少し図に乗り「お客さまぁ~、いいお買物されましたね~。これからも御贔屓にお願いしま~す」なんぞと言って見送った。それを見ていた店長が君―やるねぇと驚いていた。君はどうしてそんなに扇風機に詳しいんだね?いえ、ただそう思っただけです。へぇ~大したもんだねー次からも頼むよ。いやいやいきなり店の前に立っとけと言ったくせに・・・ちゃんと製品の性能位は教えて欲しいわ。そう思った。しばらくしたある日の日曜日、店に来た女子高校生がステレオを買おうと迷っていた。若い女子!あまり出くわさないお客さんに若い男性社員とアルバイトの私は「私が世界中で一番の物知りで、なおかつ優しい人間です」的な顔をして近づく。その頃私はステレオに興味があったのでパンフレットを読み漁り知識は持ち合わせていたので高校生だから予算が限られているとは言え、店頭の陽にさらされて少しターンテーブルが波打った現品限りのモノだけは買ってほしくなかった。しかし彼女はそれを買った。これはそのままレコードに針を落とすと針が飛ばされ音が飛ぶ事は目に見えていた。彼女は持ち帰りたがったが若い男性社員と私は策を練り後日お届けする事にした。それからターンテーブルのゴムを可能な限り平たくし、針圧を少し高めにして何とか針が飛ばないようにして納品した。レコードをかけて無事に音が飛ばなかった時、若い男性社員とアルバイトの私と女子高校生は安堵し、しばし見つめ合って笑った。懐かしく思い出すあの頃の僕の目は輝いていたんだ。

家具屋の思い出話

(30)「学生時代④」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史

ホンダのカブ号のダダダダっという音が近づいてくる。僕は玄関まで走り何食わぬ顔で待つ。「小柳サーン?」・・・「はーい!」「書留デース。印鑑お願いしマ-ス。」「はーい。ちょっとまってくださ~い。」下宿屋の部屋のドアは鍵など掛かっていないし、印鑑の置き場所はだいたい机の右側一番上の引き出しと決まっている。郵便屋さんが現金封筒を持って来たのが分かった瞬間、僕は小柳先輩に変身したのだった。「お疲れさまでしたー!」郵便屋さんに深々と礼をし、踵を返す。当然のようにこの現金封筒は今日一日私の管理下に置かれた。その夜もいつものようにみんなが一つの部屋に集まっている。「あーぁ何か旨いもの食いたいな~!」「誰か金持ってないのかよ~!旨いもの食おうや!」みんながかぶりを振り、うな垂れる。話も煮詰まってきた頃、昼間の件を聞いていた先輩が僕に話を振る。「あのサー。お前お金あるんじゃない?」僕「ないっすよ。」すかさず僕が言う「小柳先輩、助けてくださいよ!」お鉢が回ってきた小柳先輩「俺に金があったら奢りますよ~!」僕「本当ですか?」「当たり前やろ!」小柳先輩が言い放つ。時は熟した。おもむろに先輩が「お前、昼間なんか預かってなかったか?」と僕に問う「そう言えば来てました!代わりに受け取っときました。小柳先輩!」と現金封筒をおもむろに差し出す。その瞬間小柳先輩が「あちゃー。えっつ?あー?」と言って弱々しく僕から現金封筒を受け取る「今月のお小遣いが・・・。」全員笑ってる。心から楽しそうに。皆がしてやったりと立ち上がり恒例の親子丼を食べに行く用意を始める。下宿屋を出て歩きながら、奢る方も笑い奢られる方も笑っている。何故なら、みんなが同じ事をやられていた。言えば持ち回りの行事みたいなものだった。昔、僕たちへの仕送りは現金封筒が多く、その中にはありがたいことに下宿代と幾ばくかのお小遣いが入っていた。親の職業でおおよその現金封筒到着日が決まっていて、25日給料日の親からは27日か28日に届くという具合だった。僕の現金封筒には必ず母親の字で無駄遣いしないようにと書いた紙が入っていた。僕は空の現金封筒を卒業するまで全てとっておいた。ありがたくてそれは捨てられなかった。それでも僕らの下宿では損得勘定の前に仲間意識があり、5月病など無縁で毎日が楽しかった。もちろんこれは犯罪だったろうが、その時代にはその時代のルールがあり僕らの下宿屋では許されていた。ネコババすることなど誰も考えていなかったから成立していたのだろう。あの時代はみんな貧乏でジーンズなど履きっ放しで1年くらい洗わなくても平気だったし、それでリンゴを拭いて食っていた。おおらかで言いたいことを言い合いそれぞれが自由で居ながら、時空を共有していた。僕はジャズを聴いていたし、フォーク好きもいればハードロック系もいた。それぞれの部屋はとても狭くそして寒かったが人が集う事で暖かくなり、何より心が熱く居心地がよかった。あの頃はとにかく毎日が充実していたんだ。

家具屋の思い出話

(29)「学生時代③」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史

明日阿蘇に行こう!よし、阿蘇山に登ろう!流れでそうなったみたいだが、下宿屋の先輩達と酒を飲んでいるとそういう話になった。みんなで酒を飲んでいると突拍子もない話になるのはよくある事。福岡から熊本阿蘇。近いっちゃ近いが、遠いっちゃ遠い。ギリギリの日帰り旅行だ。まぁ夏が近い日だったのでラフな格好で行こうと言うことに決まった。朝集合してみると、先輩達は皆一応旅行するよねと言う服装で、揃って革靴を履いている。無論私も一足しか持っていない革靴を履いている。その中に1人2年生小柳先輩だけはサンダルだった。「サ、サンダル?」「だってラフな格好だと言ったじゃないですか。」ちょっとむくれている。「まぁそうは言ったけど、熊本、阿蘇山だよ。」動じない。「まぁいいか出発しよう。」列車に揺られながら、たわいもない話をし「しかし小柳最高だな。やっぱこうと決めたら曲げないよね!流石です。」小柳先輩はちょっと馬鹿にされながら先輩達に褒められていた。列車からバスに乗り継ぎそれからロープウェイでやっと阿蘇中岳火口付近に到着。普通に歩いて行ける第二火口から1度下って少し見上げる第一火口へ。勢いを付けて5メーター位駆け上る。先に走って行った先輩達が登った瞬間「わっ」と言う。何を脅かしてるんですかと思いながら僕らも駆け登った。登りきった瞬間。あらん限りの声でわーと叫んだ。登り切った所がてっぺんだった。足元30cm分が平らなだけでそこから50mを超える断崖になっており、その先に不気味に口を開けて白煙を出している本物の火口があった。落ちたら確実に地獄への入口だ。足がすくんだ。なぜ危険を知らせる看板がないんだ。死んだらどうするんだ。ほんとにそう思った。今は当然立ち入り禁止区域である。全員同じ顔をしていた。怖くて、涙を少し目じりにためて口をゆがめ今にも泣きそうな顔で固まっていた。ゴーゴーと響く地球の唸り声を初めて聞いた。遠くに見る美しい山々とは正反対の吹き出るエネルギーの圧に叩きのめされていた。これが地球なんだ。色々を想い、色々を学んだ。私たちは阿蘇中岳にびびり倒されて家路に向かった。列車に乗り少し時間が経って笑いが戻ってきた頃、足元を見ると、みんなの革靴は火口の砂で灰色になっていた。全員で小柳先輩のサンダルを想い出し彼の足を見た。彼の足は泥んこに汚れてはいたが、何せサンダル履きだから洗えばよかった。「小柳お前最高だな。さすがだよ。」小柳先輩は今日2度目にして心からみんなに褒められ、少し勝ち誇ったように「でしょう!ですよね!よーし、また行きましょう!」と笑っていた。その時のしがらみのない仲間達の屈託のない笑顔は、阿蘇山のエネルギーにも引けを取らないくらい活き活きとしていた。

家具屋の思い出話

(28)「学生時代②下宿の先輩」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史

 学生時代、下宿屋に住んでいた。下宿屋とは朝晩賄い付きのアパートみたいな物で10人位がそれぞれ3畳の部屋に暮らしていた。この南片江の下宿屋の住人は殆どが何某かの志望校に落ちてここにたどり着いた輩で、吹き溜まっていた。吹き溜まってはいたが若いエネルギーとそこそこの知恵は持っていた。夕方飯を喰い、時間が余るとギターをかき鳴らす奴がいたり、プロ野球談議やらプロレス談議やらが行われていたが、自然発生的に麻雀をする事が段々と習わしとなっていった。しかしコタツの麻雀は時間が経つと、とても疲れる。半荘4回もすると疲労困憊となる。そこで私はコタツを二段重ねにして麻雀台にすることを思いついた。椅子も用意した。この台が大ヒットで連日連夜麻雀に明け暮れた。疲れないのだ!順番待ちとなり仕舞いには1軍・2軍とかできる始末だった。夏が近づいたある日明日起きてみんなで買い物に行こうという話になった。食事を済ませぞろぞろと玄関口に集まって出発した。朝日がきれいだった。幸せだった。「真っこときれいぜよ。」「ほんに美しゅうごわす。」みんなそう思った。朝日が清々しかった。若さに任せて天下国家を論じる。皆にそんな勢いがあった。ワイワイガヤガヤ歩いていると1人がこういった。でもあれは…。あれは夕日じゃねぇか?何を言う!天下を語るときに転覆を図るようなことを言うではないわ!みんなその思いで見つめ合った。各々が腕にはめたセイコーやシチズンの時計を見ている。6時だ。6時じゃないか!安くて正確なCASIOのデジタル時計をはめてる奴が言った。いや!18時だわ!われわれはこのところ毎日朝まで麻雀をし、学校にも行かず夕方まで寝る生活を続けていた。その日も同じように過ごしそしてご飯を食べて出かけたのだった。全員が同じルーティーンで行動していると時間の概念が無くなると言う人間のありようを学習させられる事件だった。よく見ると陽は明らかに沈んで行っている。全員が肩を落とし泣きそうな感覚になり、歩いた。とりあえず買い物をして帰った事だけは覚えているが何を買ったのかは覚えていない。あれから朝までの麻雀は自粛するようになり、二段重ねの麻雀台は使わなくなった。でもあの雀台は最高だった。一段目には灰皿も置けたし疲れたら足も乗せられた。何より高さがダイニングテーブルと同じだったから椅子との相性がバツグンだった。一種の発明品だと自負していた。まだ真面目で幼い学生の一面も持っていた私にはほろ苦くていまだ忘れられない思い出となっている。そんな思い出と共に昭和は明らかに遠くなっている。

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