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​情報紙 SECOND

SECOND Column Page

家具屋の思い出話

(28)「学生時代②下宿の先輩」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史

 学生時代、下宿屋に住んでいた。下宿屋とは朝晩賄い付きのアパートみたいな物で10人位がそれぞれ3畳の部屋に暮らしていた。この南片江の下宿屋の住人は殆どが何某かの志望校に落ちてここにたどり着いた輩で、吹き溜まっていた。吹き溜まってはいたが若いエネルギーとそこそこの知恵は持っていた。夕方飯を喰い、時間が余るとギターをかき鳴らす奴がいたり、プロ野球談議やらプロレス談議やらが行われていたが、自然発生的に麻雀をする事が段々と習わしとなっていった。しかしコタツの麻雀は時間が経つと、とても疲れる。半荘4回もすると疲労困憊となる。そこで私はコタツを二段重ねにして麻雀台にすることを思いついた。椅子も用意した。この台が大ヒットで連日連夜麻雀に明け暮れた。疲れないのだ!順番待ちとなり仕舞いには1軍・2軍とかできる始末だった。夏が近づいたある日明日起きてみんなで買い物に行こうという話になった。食事を済ませぞろぞろと玄関口に集まって出発した。朝日がきれいだった。幸せだった。「真っこときれいぜよ。」「ほんに美しゅうごわす。」みんなそう思った。朝日が清々しかった。若さに任せて天下国家を論じる。皆にそんな勢いがあった。ワイワイガヤガヤ歩いていると1人がこういった。でもあれは…。あれは夕日じゃねぇか?何を言う!天下を語るときに転覆を図るようなことを言うではないわ!みんなその思いで見つめ合った。各々が腕にはめたセイコーやシチズンの時計を見ている。6時だ。6時じゃないか!安くて正確なCASIOのデジタル時計をはめてる奴が言った。いや!18時だわ!われわれはこのところ毎日朝まで麻雀をし、学校にも行かず夕方まで寝る生活を続けていた。その日も同じように過ごしそしてご飯を食べて出かけたのだった。全員が同じルーティーンで行動していると時間の概念が無くなると言う人間のありようを学習させられる事件だった。よく見ると陽は明らかに沈んで行っている。全員が肩を落とし泣きそうな感覚になり、歩いた。とりあえず買い物をして帰った事だけは覚えているが何を買ったのかは覚えていない。あれから朝までの麻雀は自粛するようになり、二段重ねの麻雀台は使わなくなった。でもあの雀台は最高だった。一段目には灰皿も置けたし疲れたら足も乗せられた。何より高さがダイニングテーブルと同じだったから椅子との相性がバツグンだった。一種の発明品だと自負していた。まだ真面目で幼い学生の一面も持っていた私にはほろ苦くていまだ忘れられない思い出となっている。そんな思い出と共に昭和は明らかに遠くなっている。

家具屋の思い出話

(27)「学生時代①」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史

 学生時代、下宿屋に住んでいた。下宿屋とは朝晩賄い付きのアパートみたいな物で10人位がそれぞれ3畳の部屋に暮らしていた。この南片江の下宿屋の住人は殆どが何某かの志望校に落ちてここにたどり着いた輩で、吹き溜まっていた。吹き溜まってはいたが若いエネルギーとそこそこの知恵は持っていた。夕方飯を喰い、時間が余るとギターをかき鳴らす奴がいたり、プロ野球談議やらプロレス談議やらが行われていたが、自然発生的に麻雀をする事が段々と習わしとなっていった。しかしコタツの麻雀は時間が経つと、とても疲れる。半荘4回もすると疲労困憊となる。そこで私はコタツを二段重ねにして麻雀台にすることを思いついた。椅子も用意した。この台が大ヒットで連日連夜麻雀に明け暮れた。疲れないのだ!順番待ちとなり仕舞いには1軍・2軍とかできる始末だった。夏が近づいたある日明日起きてみんなで買い物に行こうという話になった。食事を済ませぞろぞろと玄関口に集まって出発した。朝日がきれいだった。幸せだった。「真っこときれいぜよ。」「ほんに美しゅうごわす。」みんなそう思った。朝日が清々しかった。若さに任せて天下国家を論じる。皆にそんな勢いがあった。ワイワイガヤガヤ歩いていると1人がこういった。でもあれは…。あれは夕日じゃねぇか?何を言う!天下を語るときに転覆を図るようなことを言うではないわ!みんなその思いで見つめ合った。各々が腕にはめたセイコーやシチズンの時計を見ている。6時だ。6時じゃないか!安くて正確なCASIOのデジタル時計をはめてる奴が言った。いや!18時だわ!われわれはこのところ毎日朝まで麻雀をし、学校にも行かず夕方まで寝る生活を続けていた。その日も同じように過ごしそしてご飯を食べて出かけたのだった。全員が同じルーティーンで行動していると時間の概念が無くなると言う人間のありようを学習させられる事件だった。よく見ると陽は明らかに沈んで行っている。全員が肩を落とし泣きそうな感覚になり、歩いた。とりあえず買い物をして帰った事だけは覚えているが何を買ったのかは覚えていない。あれから朝までの麻雀は自粛するようになり、二段重ねの麻雀台は使わなくなった。でもあの雀台は最高だった。一段目には灰皿も置けたし疲れたら足も乗せられた。何より高さがダイニングテーブルと同じだったから椅子との相性がバツグンだった。一種の発明品だと自負していた。まだ真面目で幼い学生の一面も持っていた私にはほろ苦くていまだ忘れられない思い出となっている。そんな思い出と共に昭和は明らかに遠くなっている。

家具屋の思い出話

(26)「①生成AIが作る匂いが出るTV」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史

 以前よりインテリアの仕事をしている中で、匂いを味方に出来たらどんなにいいだろうと考えていた。モデルハウスのシステムキッチンにコーヒーの香りが漂っていたらもっと素敵じゃな~い?とか、玄関のシューズクローゼットにはローズの香りがテッパンじゃない?とか、いつも家具のディスプレイをする時にプラス+匂いが有ったらどれほど素敵だろうかと考えていたのです。そんな匂いを演出する装置があればどんなに楽しいだろうかと。今、生成AIが世の中を変えている。いよいよ「生成AI匂い発生テレビ」なるものが出てきて映像に合わせて匂いを伝えて来るんじゃないかと勝手に想像してみる。さぁ大好きな妄想タイムのスイッチON!ハワイ、ワイキキビーチの潮の香りが風に乗って漂ってくる。上々の滑り出しだ。いいじゃないか!ワクワクするぞ!次にビーチのバーでモヒートを作っている。ライムの香りがしてくる。何とも言えないいい香りだ。最高じゃないか!よしよしよし!次だ次!100インチのデカいテレビに料理番組が映し出される。番組終盤、画面いっぱいに出来立てで、ジュージュー言ってるトンカツのアップ!幅1メートルを超える、とてつもないデカさのトンカツ!匂いが噴き出してきた。腹減ってたら倒れるぞ、腹いっぱいでもこりゃ別の意味で倒れるな。どんな匂いも瞬時に出してくる。さすが生成AI匂い発生テレビだ。勿論コピー機のトナーのような匂いキットが入れてあり、それを合成して瞬時に匂いを出してくるのだ。一手間掛けたサプライズだ。やるなAI!むむむ、何だかきな臭い匂いが…。思わずテレビ画面を見た。警察24時じゃないか!そうか事件の匂いだったのか。やり過ぎだぞAI!チャンネルを変えてしばらくすると強い化粧の匂いと共に何やら機械油の匂いがしてくるじゃないか。な、なんだ?ど、どうした?目を見張ったそこには画面いっぱいに衣装がドンドン大きくなっていく小林幸子が映っている。オイオイオイ!何でも匂いを付ければいいってもんじゃないぞ!生成AI匂い発生テレビもまだまだ研究の余地がありそうだな…。とりあえずテレビを消した。

 一息入れようとコーヒーをカップに注ぐとテレビのスイッチが入りシステムキッチンの映像が浮かび上がる・・・どうした?逆もあるのか?生成AI匂い発生テレビ君!妄想タイムのスイッチがまだ切れていない・・・。

家具屋の思い出話

(25)「営業常務」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史

 「営業常務」という言葉の響きが好きだ。営業常務になりたいと言う訳ではない。好きな子の名前の響きが好きなのと同義語と思ってもらって間違いない。

 

 私が家具業界に入るきっかけとなった面接官がその会社の営業常務だった。私は彼に認められたい一心でがむしゃらに働いた。数年後とても目を掛けてもらうようになった。たまに家に呼ばれて泊まる事もあった。まるで親子のような感覚になった事もある。やっと手にした二人っきりでの飲み会で、血気盛んだった私はこれからの会社の在り方などを朗々と語っていた。「そうか、よう知っちょるのぉ。」褒めてもらえるのが嬉しくて私はさらに語る。そして頭に乗る。営業常務は時に嬉しそうに聞かれていたが、最後は決まって「わかっちょらんのぉ。」だった。時折「おぅ?わかっちょるんか?あちゃーまだわかっちょらんのぉ。」と残念そうに言われる時もあったが、最後はほぼほぼ撃沈で会話終了となっていた。それでも私には貴重で、この上ない楽しく有意義な時間だった。自信に満ちていた私は係長・課長・支店長と思った以上の速さで役職が上がって行ったが彼のおかげだとは思っていなかった。ただのうぬぼれた若造だった。ずっと続くこの幸せな環境をやっと掴み取ったと安堵していた一方でまだまだやれる事があると過信していた。

 しばらくして私は若気の至りで上司との諍いを発端とし退社することとなった。経緯を知っていた営業常務は最後に私を食事に誘ってくれた。今までの期待に応えることが出来なくなった私は謝るしかなかった。「すみません。」苦いビールだった。「すまんのぉ」「いえ、私のわがままです。スミマセン。」スミマセンの声は途中から濡れていた。「アイツが・・・、すまんのぉ。守ってやれんかったのぉ。」と営業常務も声を絞り出すように言ってくれた。私はもう何も言えなかった。最後のお礼をしなければと自分を奮い立たせ「常務、申し訳ございません。このご恩は決して…。ありがとうございました。」永遠の別れを詫びた。あれから20年が過ぎ彼はすでに鬼籍に入られお会いすることはかなわない。今思う。何もわかっていない小僧を酒席に誘い笑顔で話を聞き部下の成長を楽しんでいた営業常務のことを。自分も小さな経営者になった今こそ聞きたい。木を見て語る私に「山を見ながら考えよ」と教えてくれていた、あの少ししゃがれて、それでいて暖かく優しく諭すような「わかっちょらんのぉ」を。生の声で。今一度、座し目をつぶり聞きたい。

家具屋の思い出話

(24)「私の面接官」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史

 私がその家具店に向かったのは役員面接を受ける為だった。

 8月のとても暑い日で午前中にそれを終わらせて午後からは友達と志賀島の海で遊ぶ約束をしていた程、気乗りのしない面接だった。そもそも家具屋なんて行った事もなかったし、世の中が必要としている産業だとも思っていなかった。最初の就職に失望し自暴自棄になっていたあさはかな若者の愚かな考え方で、自分の人生を人のせいにしていた。捨てる神あれば拾う神あり。私の面接官はその会社の営業常務だった。それほど年は取っていないが頭は薄く背も高くない。通りすがりに会えばホンマ普通のおっさんだったが、妙に人を包み込むやさしさを携えた言いようのない魅力があった。さて面接。おもむろに彼は私に尋ねた。「例えばA4の紙を35回折ればどれ位の高さになると思う?」私、「正確には分かりませんが、富士山は超えると思います。」そう答えると、「ホホ―。」「そんな答えを言ったのは君が初めてだよ。」と笑って言った。私の答えはもちろん当てずっぽうだったが、そんな問い掛けにはそんな答えしかないだろうと思った。その後は真面目な質疑応答で、面接が終わった。合格通知が来たのは2週間後だった。斜に構えた我が人生にもう一度心入れ替えて頑張る息吹を彼に吹き込んでもらった気がした。中途採用者として初めて出社したのは9月、舐められまいとブルックスのスーツを着て行ったが、誰一人私に気を留める奴もいず、とんだ空回りだった。経理課に配属されカード会社との折衝やローンの未回収事案の処理などをやらされていた。経理課にいても気になっていたのは営業常務であり早く営業に回してほしいと思っていた。経理課と営業本部はフロアーが同じで会話するチャンスはあったが彼はいつも席にいなかった。そして私もいつも席にいなかった。色々な口実を付けて各フロアーを回っていた。会計も分からない私が経理課で務まるはずもなく早々にお払い箱となり自然に営業部への移動となった。店内に降ろされて営業をしている私に時々彼は声をかけてくれた。ペーペーの私はどうにかして間に立つ上司達をすっ飛ばし営業常務と二人っきりで会話をしたいと思って仕事をしていた。ある時彼はふっと近づいてきた。「今日は定時で終われるか?」咄嗟のことだったが私が「はい。」と答えるとおもむろにメモを渡して彼は去っていった。それは居酒屋の地図だった。仕事が終わり地図を頼りに店に赴くと彼は店のオヤジと碁を指していた。私はそばの椅子に座り瓶ビールとさんまの塩焼きをあてがわれじっと成り行きを見守っていた。私との会話はなかった。でも幸せだった。この人を独り占めしているという感覚に酔っていた。嬉しかった。まるで恋人だった。それから時々呼ばれることになるのだが・・・。彼がくれたそのメモ紙は私の人生の中で大切な宝物となった。

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