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​情報紙 SECOND

SECOND Column Page

家具屋の思い出話

(43)「唐津の旅」

Cozy Flat オーナー 仲 洋史

「雲仙に行くのよ!天草からフェリーに乗って行けば近いし。以前お義母さん達が行ってそれはそれはいいホテルだったと言ってたあのホテル。そうそうSHIORIが福引で当てたけど私達が行けなくて替わりにお義母さん達に行ってもらったホテルよ。私も行きたかったのよ!」息継ぎもせずにしゃべる妻に相槌の打ちどころを探すが、「お義母さんもだいぶ足腰が弱ってきたから今行っとかないと・・・。ね。」「一緒に行くでしょ!」幸せそうな妻の申し出に嫌とは言わせない圧を感じながらしばし考えたふりをして「そうだね。」と応える。もう義姉さんが速攻仮予約砲をぶっ放して部屋を確保している事は薄々感じている。みんなが幸せなら僕も乗っかるとするか。数日後お義母さんが骨を折ったという。当然旅行は中止になる。大体の流れではそうなるはずだが、したたかなこの愛する妻を含めた女性陣は言葉を巧みに変えてくる。「ねえ。義母さんは行けないけどSHIORIも就職が決まって卒業旅行って事で近場でもいいからどっか行こうよ!」君たちは政治家か!その巧みな言い回しにはほとほと感心する。「ねえ。雲仙はやめて唐津に決まったわよ!」出た!義姉さんの仮予約速射砲!第2弾。

「あなたが居るとシニア割でとっても安く泊まれるって!2部屋ともシニア割が使えるのよ!」完全に利用されている。あなたが居るとシニア割・・・の言葉に覚悟を決める。上等じゃないか!行ってやろうじゃないか!唐津・・・近いが程よい距離感。海を想像しながらイカでも食えばいいんじゃないかと自分を納得させていた。しぶしぶ行った唐津シーサイドホテル。福岡から来た姉妹組が先に着いていてしきりに電話をかけてくる。「今どこ?早く部屋にいらっしゃい!5階よ!海が見えるのよ!」当たり前だシーサイドのホテルで海が見えなくてどうする・・・。おっさんはいつも愚痴が多い。加齢は病気だ!と誰かが言ってたっけ。部屋に入った。ハイハイちょっとは海が見えるんでしょ!と思っていたら全面海!私の心は面食らった。部屋からこんなに海が見えるのか!心の中が空っぽになった。こんなにストレスフリーになったのは何年ぶりだろう。海の青と空の青が遠くで繋がっている。波の音が奏でる音楽は安らかな眠りに誘う。白い雲と島影が旅を充分に演出している。今ここに来れたことがどれほど幸せなことかと思わせてくれた。一人で来たのではない。一人では来れない。一人では味わえないこの幸せな時間を改めて感謝した。外に出て浜辺を歩いてみた。軋む砂。全てが心地よかった。思わずありがとうと声が出た。「ねっ来てよかったでしょ。」「そうだね。ありがとうね。」心からそう思った。いつもなら嫌な帰りの車の運転も心地よく胸の中が暖かく気持ちよかった。何より距離が良かった。家から2時間ばかり。ちょうどいい。唐津には文化がある。呼子にはイカがある。帰り着いてイカ刺しで冷酒。いやいや行って心が洗われた。唐津。

家具屋の思い出話

(42)「娘の引っ越し」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史

大学を出て就職が決まりいよいよ娘が引っ越すことになった。あと1週間と言う時も娘は友達と日々遊んでいた。もういい加減に荷物をまとめないと・・・と思っていたが「俺は手伝わないからな」と話の流れで言った以上口には出さなかった。しかしいざとなると親ゴコロ、これがいるんじゃないか?あれもいるんじゃないか?と私は新生活に必要だと思う物を買いに走り、友達に助っ人を頼んで急遽荷物を運ぶことにした。

妻の見立てで必要だと思う家具は全て配送業者に手配していたので、私が初めてアパート暮らしをした時のようにカーテンレールに黒のビニール袋を下げたようなみすぼらしい部屋にはならない段取りだった。

大学も家から通っていたせいで気がつくとほぼ毎日娘は家にいた。娘に対する妻と私の考え方は違っていて、妻はできる限り娘の要望を聞いてやろうとし、私はできる限り自分でやらせてできたことを褒めようとした。現象的なことを言うと妻は雨ふりには娘が濡れるからと迎えに行き、私は濡れて帰ってきた娘をタオルで拭く方だった。

 

引っ越しがいよいよ明日となって荷物を段ボールに入れる作業に入るとみるみる段ボールの数が増えていく。明日これを積んで出ていくんだと思うと何だか胸が痛んだ。離れて暮らす兄に電話で「明日SHIORIが引っ越すんだ。」と告げると「そういえば俺たちが帰省してまた戻る時、お母さんはいつも本当にしょんぼりして『もう寂しくなるが~』と言ってたよな。」とポツリと言った。確かにそう。送られる者より送る者の方が100倍寂しいのは知っている。明日から娘が家に居ないと思うとその夜は寝付けなかった。出発の日はバタバタしていた。

妻と娘を先に送り出し洗面所で、歯を磨こうとすると、いつも隅に追いやられていた私の歯ブラシが真ん中にある。娘の化粧道具が消えて棚がガランとしている。いつも落ちていて嫌だった娘の長い髪の毛が洗面所に1本だけ落ちていた。それがいとおしくも思えた。これまで娘の名前を呼ぶ時僕はいつも命令口調じゃなかったか?SHIORI!お風呂は?SHIORI!ご飯だってよ!SHIORI!早くしないと遅れるぞ!褒め言葉や感謝の言葉を毎日投げかけていたかな?最後にゆっくり二階へ上がり、娘がいなくなった部屋で名前を小さく呼び心から言ってみた。

 

「SHIORI今までありがとうね…。」

 

関所、生まれてこの方、娘は色々な関所を通って今を生きて来たと思う。近くの関所を通れずに遠回りさせられた事もあったろうにじっと我慢して遠い関所を通っていたと思う。何故毎日褒めてやらなかったのか…。SHIORI暑かったねえ。SHIORI寒かったねえ。SHIORIよく頑張ったねえ。SHIORIおめでとう。SHIORIありがとうね。ご免なSHIORI。色んな言葉が頭をよぎった。

家具屋の思い出話

(41)「救急病院で診察」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史

数日前から変調を来たしていたが、とうとう我慢できずに救急病院で診察してもらった。自分では心臓に負担がかかっていると思い、循環器系を得意とする病院を選んで、妻に送ってもらった。日曜日だったこともあり、肝心の心臓の専門医はいなかったがとてもよく調べてくれて、心電図、心臓と腹部のエコー、採血、胸と腹部のレントゲン等見てもらった。しばらく寝かされた後結果的に悪いところは見当たらず「心臓ももっと詳しいことを知りたければ改めてCT検査など行ったらどうですか。」と言われた。血液検査の数値を見ても今のところ悪いところは1つも見当たらないと。【ヤマイ ハ キカラ。】そういう事なのか…そういえば遠来の友の来訪が数日後に迫っていたが、それが原因だったのだろうか。私が救急外来に行った話は知らないうちに広がっていて、娘は「今ね、救急外来にお父さん連れてきたの。」と言う妻のメールで、「えーなんで~!」と叫び、義理の母は「病気だと思い込んだら病気になるから!私がそうだから!」と真剣に妻に伝え。義理の姉はたまたま帰っていた実家で私の心臓がとても悪いらしいと義兄に伝え、馬の心臓を食べさせるんだ!と近くの肉屋に走らせた。私が病室に寝かされている間に色々と話は広がり、私が入院しそうな話になっていた。

【病は気から。】検査結果で悪いところは見当たりませんよと言う当直医の言葉で私の気持ちは相当楽になった。そんなもんだな。それにしてもみんなが存外気を遣ってくれた事がうれしくて、どうせならこの勢いで仕入先が今回の代金は良いですよとか、銀行が住宅ローンはもう返さなくていいですよとか、借入金は完済という事でとか言ってくれたら僕の病気は1000%治ると思ってしまうけど・・・。妻に言われた「これからは気を使いすぎずに!なるようになるから、あんまり考えすぎないように。」と言う言葉がとても有難く、本当にこれからはあまり気を回すのはよそうと思った。喧嘩をした時の「だいたいあーたは!」的な意地悪な言い回しをする妻の姿はそこにはなく、心からの優しさに頭が下がった。店に帰り二人で遅い昼食を済ませて、「今日はご迷惑をおかけしました。申し訳ございませんでした」。と3回程、殊勝な事を言い頭を下げると、妻は気分良さそうに「今日は病院に行く日だったのよ。行ってよかったじゃない。何にもなくて最高じゃん!」「次は胃カメラね、予約しようね!」とツアーの予定みたいな事をいい出し、「そう言えば、来月義姉さん達と温泉に行くわよ!一緒に来なさいよ。」とギロリと睨まれ、いつものパターンの「女四人と男は私一人の旅」を思うと胃がチクチクと痛み、また病気になりそうになっている。

家具屋の思い出話

(40)「カビキラー殺人事件」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史

休みの日は遅く起きる僕が何故かその日は早く目が覚めてしまった。

とりあえず朝起きてからのルーティーンとして顔を洗って歯を磨く。まぁこれは日本中で行われていることだと思うが、この日は歯を磨くと苦かった。なぜだ!水か?歯磨き粉か?わからない。誰の仕業だ?わからない。原因がわからない。殺されるのか?俺が悪いのか?十津川警部に電話か?アガサクリスティーの世界に入り込んだのか?心臓が痛くなった。息苦しいし、喉が痛い。こういう時は誰に処置をしてもらう?やはり大門未知子か?

そういえばこの家が建つ前、ここは工場跡地でフッ素残量が云々の話があったな?

でも許容範囲とか言われて結局家を建てたんだ。もしかして蛇口から出ている水がPFOS(ペルフルオロオクタンスルホン酸=有機フッ素化合物)の国の定める暫定目標値を超えているんじゃないか?どうすればいいんだ!それから僕の声は森進一と化し、僕の首は少し歪み、まるで麻生太郎のようになった。鏡の前に立ち尽くす僕。妻が怪訝そうにクイックルワイパーをもって顔を覗き込む。「どうしたの?そんな顔して?」そんな顔と言われても世間ではまあまあ合格的に評価されていると自負している私の顔だが、「何だかニガイんだ。歯を磨いたんだけど。」「えー?どういうこと?具合が悪いの?」「だから口の中がニガイんだ。」「あーもしかして?そうかな?・・・洗面所にカビキラーしたのよ。蛇口もしちゃった。一応水は流したけど全部洗ってなかったかな?」犯人は君か!土壌を疑い、水道局のせいかもと疑っていた僕は首を垂れるしかなかった。「大体あーたが休みの日にもかかわらず朝早く起きてくるから~」言葉使いが「あなたからあーた」になった時の妻は戦闘モード・臨戦態勢である。こちらも負けずに言う。「死ぬところだったんだぞ!」「あーたが死んだら私も後を追うわよ。」戦闘モードでそう言われても全く心に響かない。増税した後に国民にお金を一回だけ配る政府のようなものだ。ちゃんとこっちは見透かしているんだからな!いや違う、違うだろう!愛する妻は休みの日に朝早く起きて掃除してくれているんじゃないか!ちょっとした間違いは誰にでもある。少し歯ブラシにカビキラーが付いて歯を磨いたところで死にはしないさ。ありがとう愛する妻よ!大体僕が「愛する妻」と表現する時は腹に一物ある時だけど。お互い様で水に流そう。蛇口を指で塞ぎ水を勢いよく流すと黒いカビのようなものがたくさん出てきた。流石カビキラー!愛する妻はこの効果を知っていたのか!さすがだ!と思いながらもしばらく蛇口や洗面台を水浸しにしながら掃除した。その後うがいを100回くらいして、どうにか心を落ち着かせた。心は平常心に戻ったが、その日一日僕の声はいつもより渋みを増していた。

家具屋の思い出話

(39)「妻の実家の正月」
Cozy Flat オーナー 仲 洋史

「早くお風呂からあがれってよ。」「もう正月になるよ!」兄は大晦日の11時半くらいから風呂に入り始めた。僕は心配で兄に伝えた。うちでは新年を迎える12時にとりあえず家族みんなで「おめでとう」を言うのが習わしだった。それ以外は何もないごくごく普通のサラリーマン家庭。子供たちは育つと大人びてアウトローを気取ろうとする。正月なんてどうでもいいじゃないかと強がって、俺は風呂で迎える!と思ったんだろうがそれでも正月を意識している事には変わりがなかった。僕にせかされて兄はしぶしぶ風呂から出て恒例の「おめでとう」に参加した。万事めでたしめでたしと僕は学級委員のような気持になった。大きくなった子供たちはそれぞれの生活をはじめ、正月の「おめでとう」は毎年とはいかなくなった。紆余曲折があり僕は妻の実家で正月を迎えることになる。「なんだこれは?!」すごい料理が並んでいる。本家のお正月とはこういうものなのか?これが初めてお邪魔したときの感想だ。義父は、誠実でかげひなたがなく器が大きく背筋が伸びていた。義兄は剣道の有段者で家業のほかに消防団にも入っていて子供も剣道をしていた。正月の早朝から道場で稽古をつけてきたという。僕の生まれたサラリーマン家庭ののんびりした正月とはかけ離れていた。たまに訪ねてくる親戚や父親の部下の人とどう接していいかわからないぼんくらな子供たちのささやかな正月とは全く違っていた。妻の家の正月は、着物を着た義父さんのご挨拶の言葉から始まる。皆正座してその言葉を待つ。流石町会議長選ぶ言葉が重い。お屠蘇をいただき、厳かに食事に入る。天才的に料理が上手な義姉さんと義妹が腕を振るったこまっしゃくれたオードブル的なものが桐の箱に入っており圧倒される。テーブル二つにびっしりと料理が並んでいて圧巻だった。少し落ち着き気が付くとずっと義兄からお酌されている。飲まされる。そのたびに返杯するから兄もびっくりする位飲むのだがケロッとしている。二人とも飲む飲む。心の中で叫ぶ。君は体育会系だから強いかもしれないが僕はそうじゃないぞ!そんなことはお構いなしに飲まされる。そして近所の3社参り、さすがに田舎のお正月はすごかった。本家の本家?もう意味わからないが、おばあちゃんの家に行く。これが古い作りの家でとても寒かった。畳の縁からスースーと冷たい空気が上がってくる。誰かがトイレに行こうと広縁のガラス戸を開けると部屋の温度が瞬時に外気温と同じになった。部屋の中で吐く息が白い。でもなんだかみんながいるところが本当の厳かな正月と思われて、慣れない私としてはとても楽しかった。お義父さんもおばあちゃんももう鬼籍に入られたが、まだ私は忘れられない。百歳を越えたおばあちゃんに「お酒はもうそのくらいにしてご飯を食べなさい。」と叱られた思い出が胸に残る。また正月を妻の実家で迎えることができるのが嬉しくて仕方ない。

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顧問弁護士:ことまる法律事務所
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