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​情報紙 SECOND

SECOND Column Page

モヒカンらーめんの作り方(仮)

​「初の店舗プロデュース」vol.5
モヒカンらーめん味壱家 店主  於保 貴久

オープンして数ヶ月、思ったよりもお客さんが来ない汗
てか、ぜんぜんお客さんが来ない。
オープン初月こそ友人知人がお祝いもって来てくれたものの、お世話になってる肉屋の社長曰く「地球上で2番目に悪い立地」だったそうで💦地球上で一番立地が悪い場所がサハラ砂漠なら、その場所は水が出るだけマシだったそうです。後日談笑
今でこそ駅が高架になって、「聖マリア病院前駅」と綺麗な景観となりましたが、25年前の「試験場前駅」界隈は、朝と夕方は開かずの踏切と片側1車線の国道210号線に面しており、踏切のカンカンカンカンという音と列車の騒音、排気ガスと救急車のサイレンで、警察24時の撮影に出てきそうな、そりゃあ騒がしい街でした笑
来てくれるお客様も近くのパチンコ屋のお客がほとんどで、タバコの煙モクモク、昼間っからビールに焼酎が当たり前で、ラーメン屋というより、場末の一杯飲み屋の雰囲気でした。
そこで一人のお客さんが「俺もラーメン屋がしたい」と声をかけてきました。
その人がその後の私の生活と事業領域に希望をもたらしてくれる事となります。続く

モヒカンらーめんの作り方(仮)

​「ユミコりんアルバイトに行く」vol.4
モヒカンらーめん味壱家 店主  於保 貴久

オープンして間もない8月の初旬、ランチタイムと夜の営業の合間の時間に郊外の業務卸のお店に買い出しに行った帰り道、急に夕立にあいました。愛車のハイエースで西鉄久留米駅前の交差点を左折していると、雨合羽を着た見るからにお腹の大きな妊婦さんが英会話教室のティッシュを配っているのが目に入りました。
「わー、雨の中お腹の子にさわるだろうに」と思いながらチラッと横目に見ると「うちの嫁さんやないかーい!」雨の中をアルバイトしてでも家計を助けようとしている妻に対して、ぬくぬくと車で買い出しに行っている自分、情けないやら恥ずかしいやらで、「お願いだからそんな立ちっぱなしの仕事はやめて欲しい」とお願いしました。
でもそこからも稼ぎの悪い亭主を持つ妻の行動は止まりません💦
「お店の近くに子供のお世話をする仕事を見つけたから」と言って
近くの超有名な美容専門学校の校長先生のお宅でアルバイトをすることになりました。元々幼稚園教諭の資格をもってる妻は、そこの奥様に気に入ってもらい、長男が生まれるまで、そして生まれた後も妻はとても可愛いがって頂きお世話になりました。お店が火事になるちょっと前に当時のお子さん達がラーメンを食べに来てくれました。大人になって美容専門学校の先生になっているそうで、とても嬉しくも懐かしく思いました。今まで何度もお店辞めようかと思ったけど、継続はご縁を繋ぐ事を実感しました。
現在こども食堂をやったり、ボランティアで炊き出ししたりしているのは、その時に受けたご恩というか、徳を繋ぐ徳送りみたいな感じでやらせてもらってます。
当時、支えて助けてもらってばっかりだった私が、こうやって少しでもお役に立てているって実感出来ていて、更に継続出来ているのは、子供達の笑顔がモヒカンらーめんの元気の源になっているからです。

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オープン当初のモヒカンらーめん味壱家

モヒカンらーめんの作り方(仮)

​「いきなり資金ショートの巻」vol.3
モヒカンらーめん味壱家 店主  於保 貴久

 2000年7月に産声を上げて出航したモヒカン丸ですが、意気揚々と「久留米で一番美味い豚骨ラーメンを作るぜい!」と公言していた私にいきなり大ピンチが訪れます。名付けて「いきなり資金ショートの巻」。

 オープン日も決まり、業者さんとの打ち合わせと進むのですが、今まで行列店の店長としての経験から食材や調味料、ドリンク類は業者さんが配達してくれて当たり前、末締めの翌末払いは当たり前だと思っていました。

 ところが修行元での僕の信用と、個人事業主としての個人の信用は、天地ほどの開きがありました。「どこも取引してくれないどころか、現金引き換えで取りに来るなら卸してあげていいよ」って感じです。運転資金はスズメの涙程度しか無く、それでも自分の理想のラーメンの為に欲しい部位の骨、チャーシュー用の肉醤油や調味料類を買い求めて何とかオープンにこぎつけました。

 オープン初日。なんとレジに釣り銭が全くありません。というか、レジ本体も買えなっかたので存在すらしません。そうなんです、なけなしの現金を仕入れに使ったので財布の中に100円玉が数枚程度しか無いんです。時代先取りのリアルキャッシュレスです(汗)万札のお客さまにはその都度100メートル先のパチンコ屋さんにダッシュで走って両替をし、仕入れに前日の売り上げから都度支払いをして、毎日が資金繰りと資金ショート危機でした。今思えばとても恐ろしくて同じことは絶対に出来ないドタバタ劇場の幕開けでした。

 次回は「妻ユミコアルバイトに行く」です。もちろん妻の了承は得ておりません(笑)。乞うご期待ください。

モヒカンラーメン2025年2月号.jpg

モヒカンらーめんの作り方(仮)

​「日々雑感」vol.2
モヒカンらーめん味壱家 店主  於保 貴久

 さて、24年前に出港したモヒカン丸ですが、先月号でも書きましたが全くの無計画で寸胴はおろかガスコンロやちょっとしたキッチン用品も買うお金がありません、そんな時に手を差し伸べてくれた、今は亡き恩人とのエピソードです。

 2つ年上のEさんとの出会いは私が修行中の深夜の営業中です。当時の私は全国でもまだ珍しかったと思うのですが、金髪ロン毛のラーメン店長でした。ザ!職人って感じではなく、結構チャらく映っていたかもです(汗)カウンター越しにバカ話しの途中、将来の夢の話になり「30歳までに独立する!」って私が宣言したんです。Eさんが「えーー!!!金髪チャラ男が独立できるわけないやろ!」って一蹴されたのを覚えています(笑)しかし、地元の厨房器具メーカーの現場責任者だったEさんは修行元を半ばケンカ別れしたように去った私に(当時師匠の許可が無いと業者さんとのお付き合いが出来なかった)廃棄された寸胴やバーナー、「掃除したら使えるから」って言って持ってきてくれたり、ガスをガンガン炊いて高額なガス代の支払いに困ってるって話したら、まだ開発途中のバーナーを会社に内緒で持ってきてくれて、「これで省エネになるけん!」って一文無しの私に全面協力してくれました。Eさんをはじめ沢山の協力者のおかげでスタッフにも恵まれ、苦節8年目にして念願のTV出演を果たしました。そこからの毎日は本当に目の回る忙しさで2号店3号店と順調に業績を伸ばし、Eさんにも厨房器具の注文や設計等で少しは恩返しが出来たかな?って勝手に思っていました。が、日々の業務に追われ徐々にEさんへの仕事の依頼も社員さんに任せきりになっていました。ある日、人づてに体調を崩して入退院を繰り返していることを聞きました。急に胸騒ぎを覚え、電話をしたのが火災から1年ちょっと経った残暑厳しい秋の日でした。ダメもとでかけた電話に元気にでてくれたEさん、病気の不安やキャンプ事、昔の事への感謝の気持ちを精一杯伝えました。電話ありがとう!またラーメン食べにいくよ!と言ってくれた。その日から丁度1週間後にお亡くなりになったと知らせがありました。

 Eさんは久留米のラーメン業界に尽力されて、命を削って業界の拡大に200%立場をとった男の中の男でした。このコラムを偉大な厨房マンEさんに捧げます!Eさん!本当にお世話になりました!ありがとう!

モヒカンらーめんの作り方(仮)

​「日々雑感」vol.1
モヒカンらーめん味壱家 店主  於保 貴久

 セカンド愛読者の皆さんこんにちは。冒頭に謝罪させていただきます。思い起こせば1年半前に全焼となる火災を起こし、近隣住民の皆さんをはじめ広域にわたり、情報系インフラに多大なるご迷惑をおかけしました。

 月日が経つのはあっという間で、今では店舗跡地はアスファルト舗装され、何事も無かったかのような様相です。2000年創業から今までのモヒカンの歩みと、現在何を考えて経営しているのか、そしてどこに向かっているのか、そんな私と、長年頑張ってくれている社員さん家族のそれぞれの視点からコラムを綴らせていただきます。しばしの間お付き合いくださいませ。

 さて、ラーメン屋というより、飲食業界という大局で世の中の移り変わりをみると、コロナ前コロナ後で大きく外部環境は変わりました。その前を見れば熊本震災前と後、東日本震災の前と後。でもやっぱり我々業界に大きな影響をもたらしたのは飲酒運転の厳罰化が大きく世の中を変えましたね。同時期に店内での喫煙不可も相乗効果で世の飲食店は震え上がりました。

 そんな、もはや戦前と言っても良い2000年7月末にモヒカンらーめんは産声をあげました。実はその前に居酒屋さんで間借り営業していた時期もあるのですが、その話はまた別の機会に。

 世はITバブルで大きく盛り上がっているなか、その日の釣り銭にも、その日の仕入代金にも困窮しているのに只々「誰よりも美味しいラーメンを俺は作る!」という根拠の無い自信と、妻の中に宿る新しい生命に対するワクワクと不安に満ち溢れた不肖わたくし、大人になれない29歳おぼたかひさの無謀な挑戦の物語がはじまりました。

つづく

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顧問弁護士:ことまる法律事務所
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