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​情報紙 SECOND

SECOND Column Page

社叢から

第2話「社叢の話」

大堰神社

禰宜 宮崎 毅

皆さんの神社に抱くイメージは、こんもりと木々が生い茂った奥に神殿が鎮座している、というものではないでしょうか。本コラムのタイトルにいう「社叢」は、神社の境内を囲う森のこと。神社で森と神殿は一体として、人々に大切に守られてきました。

しかし、原初の森とは人を寄せ付けぬ「神の世界」。昼なお暗い奈良・春日山の原生林では今も「異界」の空気を感じ取ることができます。

次第に人は森よりも神様の依代としての樹(巨木)に、そして神様のお住いとして建てた社(屋代)に頭を垂れるようになっていきます。さらに、神殿造替の木材を伐り出す「御杣山(みそまやま)」のように、元々の森では足りず社殿のため新たに森を造る=植林が行われるようになっていきました。森の禁忌は薄れ、神殿の修復、神饌の材料などを目的に植樹が行われました。

神殿の維持と森の保全はある意味二律背反。それでも社叢は神社に必要なものとして、人の手を加えつつ保たれてきたのです。

実際は、立地その他の事情により“森”とは呼べない神社も少なくありません(かく言う大堰神社も然り)。原初の

DNAに従って、私たちはいかにまばらであっても、社叢の木々を畏れ、守り、後の世に受け継いでいきます。

社叢から

第1話「パワーの源は・・・」

大堰神社
禰宜 宮崎 毅

羽田空港のターミナル内には「航空神社」、博多駅ビルの屋上には「鉄道神社」が鎮座し、ファンや旅行者の崇敬を集めている由。私たちが奉仕する「神社」の枠に収まらないものも含め、人々の幸福や健康・安全を祈願する形として、神社に祭られる神様は、世代を超えた人気を誇っていると言えそうです。

一方、残念ながら廃止された神社もあります。戦前まで存在した太刀洗飛行場の「航空神社」、今は廃坑となった炭鉱街の「山の神神社」はその一例でしょう。

鎌倉時代の「御成敗式目」に、「神は人の敬いに依りて威を増す」という一節があります。神様は、人々から尊崇を受けるほど威力・霊力を増していく、という考え方です。地域の神様がパワーを保つためには、地域がエネルギーを持たねばならない。古来神社には、人々が集いにぎわうお祭りが必要なのです。

私の勤める大堰神社は、筑後川の水で三千町歩の田をうるおす床島用水築造の功労者「五庄屋」をお祭りする神社。御創建から百年目に当たる今年十一月二十九日には、記念大祭を斎行いたします。少し先ですが、御神威の弥益々に高まりますよう、皆様こぞってパワーをお分かちくださいますよう、神主よりお願い申し上げます。

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顧問弁護士:ことまる法律事務所
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