top of page
コラムページアイコン.jpg
​情報紙 SECOND

SECOND Column Page

ココロトカラダノワン“セル”論

〜一個の細胞(One Cell)から始まる秩序について〜

あいうら接骨院・鍼灸院
​院長 相浦 利孝

 日本は、今年、戦後80年を迎えました。いったい、あの戦争はなんだったのか?そして、なぜ、今も尚、どこかで繰り返されてしまっているのか?

 全ての物事の礎は、「人」であり、世の中の「現象」全て、「人」が作り出しています。だとするならば、複雑で愚かな「争い」という現象を作り出してしまうのも「人」です。「争い」は、だいたい「人」の「欲望や感情」が出発点であり、国家間であれ、個人間であれ、本来的には、ただの身勝手な主張の押し付け合いです。それぞれの考え方や価値観の相違がそれぞれの「秩序」となって存在する限り、「分断・対立」が生まれるのは当然な事で、全世界共通の「秩序」を議論する事自体が「分断・対立」を深刻化させてしまう。「争い」が繰り返されてしまう仕組みは、歴史が証明してしまっています。

 それぞれの「秩序」の上で、全世界人口分の「主義主張」があって当然です。その上で、人格形成に寄与する「健全な争い」は、むしろ必要です。ですが、「越えてはいけない一線」を越えてしまう「戦時下の争い」が果たして、「健全な争い」だと言えるのか?「日常の争い」の延長線上にあるのが「戦時下の争い」である以上、仕方がなかったなどと「越えてはいけない一線」を曖昧にすべきではないと思います。「一線」を越え、「人の道を終わらせる行動・行為」に結び付いてしまわない事こそ、「人」としての「最低限の秩序」だと思います。

 というのは、私、あいうらのただの「感想」です。

 その上で続けます。私、あいうらが考える「最低限の秩序」とは、「人の道を終わらせる一線を越えない」為の環境整備と捉えていて、心身のコンディショニングがそれに値すると思っています。もし、誰かが「加害者」になったとします。その「加害行動」は、「欲望や感情」が「理性」を上回った時に起こしてしまう行為なんだと思います。ただ、「欲望や感情」が「理性」を上回ったとしても行動に移さなければ、「加害者」になる事も無く、「被害者」を作る事もありません。

 私、あいうら、「一線」を越える「加害行動」とは、様々なストレスが心身のコンディションを崩した事による「バグ行動」だと捉えています。なぜならば、健全な心身状態から導き出される「行動」は、決して誤作動的では無く、理性的な行動として現れると考えるからです。健全とは、『血流・血行』や『生体電気』の流れが良い状態と定義します。心身が健全であるという事は、「人」の礎である「一個一個の細胞」が「健全な心」と「健全な行動」の元となるエネルギーを発電してくれているはずです。

 とは言え、「自分の心」を含め、「人の心」なんてフラフラ影響されやすい不確かな現象にすぎません。それでも「健全」でありたいと願うのであれば、一旦落ち着きましょう。数発、深呼吸して、先んじて「酸素」を「細胞」に届ければ、少しはマシかもしれません。

 「健全な精神は、健全な肉体に宿る」と「健全さは、受け取れるんだ」というニュアンスに思われがちな言葉がありますが、本当は、「どうか、健全な肉体に、健全な精神を与え給え。と祈るほうがいい」が正しいそうです。

 例え、「細胞」から始まる「健全なエネルギー」が「秩序」の原子となって、愚かな行動を止める事が出来なかったとしても、誰かに「それって、あなたの感想ですよね?」と言われたとしても、それでも「希望と祈り」を込めて、「戦争」のない世界を見てみたい。

ココロトカラダノワン“セル”論

〜細胞のホンネについて〜

あいうら接骨院・鍼灸院
​院長 相浦 利孝

 ドイツ出身の建築家が言いました。

「神は細部に宿る」

 また、サッカー元日本代表、岡田武史監督も強調しました。

「勝負の神様は細部に宿る」

 「良い作品」や「いい結果」を求める場面では、『細部にこだわりなさい』、『決して手を抜いてはいけない』といった力強いメッセージとして受け取る事が出来ると思います。私、あいうら、「細部」にフォーカスするという考え方に共感し、「人」というものの「細部」にこそ、「人間の真理」を見出せるんじゃないか?と考えています。

 「人」というものの構成要素は、「心」と「カラダ」です。

 先ず、「心」と「カラダ」の大元を辿ります。「心」は、数十兆個の「細胞」から発電・伝播される「電気信号」のネットワークによって生み出される現象です。発露元は「一個一個の細胞」です。「カラダ」も数十兆個の「細胞」が集まり、物体として形造られているので、どの部分を切り取ってフォーカスしても「一個の細胞」に辿り着きます。また、発生学的にも、分裂・分化の始まる前の出発点は「一個の細胞」となっています。「人」というものの大元は「一個一個の細胞」であると言えます。

 次に、「人」と「細胞」の活動について。「細胞」の基本活動は、「血流・血行」によって送られて来る「酸素」と「栄養」を利用して「エネルギー」を作り出す事です。この作り出したエネルギーは、基本活動に伴って出るゴミ、「老廃物」を「血流・血行」に排出させる時に使います。「人」で言えば、呼吸で取り込んだ「酸素」と食事で摂取した「栄養」を燃やし、「糞尿・汗」を排泄するエネルギーに変えます。スケールは違えど、「一個一個の細胞」は、「人」とほぼ同じような活動を全身で行っているのです。「人」と「細胞」が行っている活動は、「生きる活動」そのものです。

 「人の真理」に近付く為には、「人」の構成要素が「心」と「カラダ」であるとは言え、不確実で曖昧な「心」の部分は要りません。「人」が「心」に振り回され、一喜一憂するにしても、生きているという土台があればこそ。フォーカスした先の「細胞」は、淡々と「生きる活動」しかしていません。

 「生きる活動」において、当たり前の話ですが、特に「酸素」が無ければ、すぐに生死を分けるタイミングがやってきます。「細胞」に

「酸素」を届けるには、「人」が「呼吸」するしかありません。「酸欠細胞」の集合体は、調子悪そうな「人」です。深めの深呼吸を数発すれば、「酸素充足細胞」の集合体となって、ご機嫌な「人」として入れ替わります。本来、「人」は「酸素」に非常に敏感なのです。

ただ、低酸素に慣れがちの鈍感な状態においても適応し、献身的に活動してくれているのが「細胞」たちです。

 「細胞」からすると"しようがないかなぁ"とも"まぁいいか"とも思っていないのが「ホンネ」でしょう。我々の中には、ただただ役目をはたすだけの実に神々しい「細胞」たちがたくさん居ます。

 「人」というものの「細部」では、「神々しい細胞たちのホンネ」が聞けた気がします。

思い巡らす心とカラダの
コンディショニング

あいうら接骨院・鍼灸院
​院長 相浦 利孝

~そもそも論を巡らせば~

 『病は気から』

 『病』は、一般的に様々なストレスが原因と言われていますが、私、あいうら、ストレスは原因になる前の要因であって、それを処理し切れない、ストレスを受ける側に原因があると捉えています。

 『物事』は、捉え方次第であるならば、『病』も捉え方次第です。

 『物事』をどう捉えるかは、最終的に自分のジャッジによって成り立っていて、本質的に誰かがジャッジするものではありません。また、『病』も、要因となるストレスを処理出来るか?出来ないか?は、自分の処理能力次第なので、誰かが処理してくれるものではありません。『物事』や『病』の成り立ちから考えても全て、『自分』次第です。

 であるならば、『物事』や『病』の捉え方は、自身の健全な心とカラダのコンディション次第です。

 なぜならば、健全な心とカラダの状態から導き出される捉え方こそ、根源的で健全だと考えるからです。健全とは、心身が穏やかで心地よく、安心・安全だという感覚、体感が得られる状態と定義します。つまり、生きとし生けるものの根源的な『癒し』の状態です。

 私、あいうら、この根源的な『癒し』の感覚、体感こそが、『物事』や『病』を健全に捉える上でのセンターピンだと確信しています。

 私、あいうらが思い巡らせたコンディショニング法が、

①カラダを温める!②カラダを動かす!③深呼吸をする!④よく寝る!プラス①天然塩を使った塩水を飲む!です。どこを切り取っても、『血流・血行』や『生体電気の流れ』が良くなり、心とカラダの『癒し』を体感する事が出来ます。

 人生において、知識や経験、環境などの後天的な要素が積み重なり、協調と忖度が過ぎると感情的ノイズが生まれてしまいます。そもそも『物事』や『病』として起こっている現象なんて全て、自分勝手に自家発電しているものです。勝手に騒いでいるだけです。人間なんてそんなもんです。

 根源的で健全な心とカラダの状態がセンターピンだった事も見失いそうになったら、『癒し』へのコンディショニングに一点集中です。心とカラダのコンディションが担保出来てさえいれば、『物事』や『病』の浮き沈みも人生の彩りとして捉える事が出来るはずです。

 『病』なんて、気分次第です。

思い巡らす心とカラダの
コンディショニング

あいうら接骨院・鍼灸院
​院長 相浦 利孝

④寝る・睡眠

 心とカラダを効果的に「癒す」には、効率良く「寝る」のが良いです。
 先ず、心とカラダの「癒し」の状態と「睡眠」状態を定義すると、心身が穏やかで心地よく、安心・安全な状態、つまり、リラックス神経優位(副交感神経優位)の状態であるといえます。リラックス神経優位の状態は、『血流・血行』や『神経伝達』が促進されて
おり、頑張る神経優位(交感神経優位)で傷付いた細胞の
「再生、修復」が活発になります。「睡眠」時は、リラックス神経優位である事によって、細胞の「再生、修復」が活発に進む、コンディション回復に最適な時間と言えます。
 ただ、私、あいうら、「睡眠」時間を十分に確保すれば良いと
いう概念は、忘れた方が良いと考えています。なぜならば、細胞の「再生、修復」は、「睡眠」時に活発なだけで、覚醒時も常に継続して行われているからです。であるならば、覚醒時も常にリラックス神経を優位に働かせ、心身穏やかな状態にある事に努めていれば、頑張る神経の暴走によって傷つく細胞も減り、「睡眠」時に
「再生、修復」にかける時間が短縮され時間効率が上がります。また、「再生、修復」に費やすエネルギー消費の観点からみても、「睡眠」時に拘らず覚醒時にも延べて分散消費が出来る事から、「睡眠」時のエネルギー効率も格段に上がります。
 私が思う、心身の「癒し」の考え方として、そもそもの心身への負担を減らしておけば、「睡眠」時間に囚われず、「睡眠」の効率性に繋がり、トータル的に「癒し」の効果があるんじゃないか?と

リラックス神経が「善」で、頑張る神経が「悪」と言っている訳ではありません。どちらも適度に働く事により、『血流・血行』や『神経伝達』は促進されます。しかし、度を超えた働きをすると心身の負担と
なります。判断基準は、心身が穏やかで心地よく、安心・安全と
感じているか否かです。実に感覚的な体感が肝です。『血流・
血行』や『神経伝達』は良くなっているか?リラックス神経と頑張る神経が適度に働いているか?は、心身が穏やかで心地よく、安心・安全だと感じ取る主観的感覚でしかありません。この感覚を初期設定とし、日々、持続に努める事が効果的な「癒し」に繋がり、より効率的で質の高い「睡眠」を迎える事が出来ると考えます。
 いざ!「睡眠」モードに向かう時に、オススメする前準備ポイントをご提案します。①カップ一杯のお塩を溶かしたお風呂で暖まる。②股関節、肩甲骨周りを動かす。③約1%の塩水を飲む。
 いずれも、『血流・血行』や『神経伝達』が促進され、リラックス神経が優位に働きます。心身が穏やかで心地よく、安心・安全な中で訪れる「睡眠」は、コンディション回復に最適な時間になると思います。
 もうワンステップ。「安心・安全」を体感する事にフューチャー
すると、究極、生命の危機を脱した時に感じる感覚ではないでしょうか?極限まで、息を止めてみてください。「死に目」を疑似体験
してみましょう。酸欠の不安や恐怖から脱した時、「呼吸」出来る有り難みや「命」の尊さの一片を感じる事が出来ると思います。
 当たり前にある「呼吸」や「命」の有り難み、尊さを知り、感謝
し続ける事が、心とカラダの「癒し」、コンディションニングの原点
なんじゃないかと、私、あいうら 、思い巡らしています。

思い巡らす心とカラダの
コンディショニング

あいうら接骨院・鍼灸院
​院長 相浦 利孝

③深呼吸をする

 手のひらに「人」と書いて飲み込む。

 この昔ながらの「緊張」を和らげるおまじないは、1回より2回、2回より3回、多く飲み込んだ方が、より「リラックス」効果が期待出来ます。なぜならば、多く飲み込む事、つまり息を多く吸う事で、より多くの息を吐く事が出来、深呼吸を誘発する事が出来るからです。

 諸説ありながら、語り伝わってきた先人たちの教えを、あいうらなりに解釈し、解説したいと思います。先ず、「手のひらに「人」と書く」という行為は、その行為自体に集中させて、周りの状況から意識を逸らすという意味で、大きな「リラックス」効果があると思います。ただ、カラダの中の状況を想像すると、手のひらに書いた「人」という無形のモノを飲み込むという行為に、かなり合理的な意味があると考えています。

 このおまじないを発動させる場面としては、精神的ストレスがかかった緊迫した状況で「呼吸」は浅く速くなり、カラダは、「酸欠」に加え、「二酸化炭素濃度」が上昇してしまっていると想像します。また、「酸欠」と「二酸化炭素濃度」が高い環境下では、細胞が電気的エラーを引き起こし、更にパニック的な「浅くて速い呼吸」になってしまいます。「浅くて速い呼吸」の時というのは、吸った息が肺に留まる前に素早く吐いてしまっていて、肺で「酸素」と「二酸化炭素」のガス交換が十分に行われていません。このように「浅くて速い呼吸」を分析する事で、このおまじないの合理的な意味と対処法が見えてきます。対処法としては、深くゆっくり「深呼吸」をする事です。ポイントは、大きく深く息を吸い込み、吸った息を肺に留め、ガス交換の時間を確保する事だけを意識します。その後、吐く事は意識せず、脱力し、自然に任せる事です。吸った息を肺に留める事で、ガス交換が十分行われれば、次第に、「呼吸」は、深くゆっくりと落ち着いてきます。

 おまじないの解説に戻します。「人」と書いて飲み込むという行為自体、吸い込んだ息を体内に留め、ガス交換を促す行為だと解釈すると、このおまじないの合理性がより深まると思います。また、2回、3回と多く飲み込む事が、更にガス交換の時間を伸ばし、吐く量も増やす事が出来るので、より「深呼吸」を誘発する事に寄与していると言えます。

 私、あいうら、「呼吸」の概念には、一般的に生命維持の為に行う側面ともう一つ、おまじない的な側面があると考えています。なまじ、おまじない的と非科学的な表現をしましたが、「呼吸」は、心とカラダにアプローチ出来る合理的な、もう一つの概念になり得ると思っています。「浅くて速い呼吸」は、カラダに負担がかかります。一方で、意識的に行う事で、瞬発的な集中力を上げたい時やテンションを奮い立たせたい時などに役に立ちます。「深くゆっくりした呼吸」は、言わずもがな体を休め、心を穏やかに落ち着かせてくれます。ただ、これもまた一方で、多用する事でやる気が出にくくなったり、体のだるさや頭痛などの不調を感じたりする事があります。このように「呼吸」と心身のコンディションは、相互に影響し合っています。つまり、心とカラダのコンディションは、「呼吸」の仕方次第で良くも悪くも影響されると言えます。今、現時点での心とカラダのコンディションが悪く、居心地悪ければ、これまでの「生き方」が影響しています。「生き方」を変えるしかありません。「息」の仕方は、「生き方」に通じています。「呼吸」の仕方を変えれば、心とカラダの未来は変えられると、私は思っています。

  • Black Facebook Icon
  • Black Instagram Icon
  • ブラックInstagramのアイコン
©︎freepaper_second
顧問弁護士:ことまる法律事務所
bottom of page