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​情報紙 SECOND

SECOND Column Page

ココロトカラダノワン“セル”論
〜細胞の「快・不快」感覚について〜

あいうら接骨院・鍼灸院
​院長 相浦 利孝

 「人」は、数十兆個の「細胞」の集合体です。「一個一個の細胞」は、取り込んだ「酸素」と「栄養」を利用し、「エネルギー」を作り出します。このように、全身の「細胞」たちが「エネルギー」を不断に放出させ続けてくれるからこそ、「人」は「心とカラダ」を動かし、「二酸化炭素」や「老廃物」を排出させる「生命活動」を行う事が出来ます。

 「人」は、「生命活動」の要素のうち「呼吸」が行えないと「酸欠」を起こし、体内の「二酸化炭素濃度」が上昇する事で「苦痛」を覚えます。この「苦痛」のその先、僅か数分後には、生命機能すべて、停止してしまいます。つまり、「呼吸」を行う事は、「栄養」を摂取する事より遥かに優先順位が高く、生命を維持するために最も緊急かつ重要な行為だと言えます。しかし、残念な事に「人」は、日々のやるべき事をこなす忙しさや「感情や欲」に囚わ

れて、「呼吸」を「無意識」に行う余り、その重要性を忘れてしまっているのかもしれません。ただ、そんな「呼吸」の状態であっても、「人の細部」にある「細胞」レベルでは、もっとシンプルで「本質的な反応」が存在していると考えます。その「本質的な反応」とは、「一個一個の細胞」が健全に「酸素」を取り込めて「二酸化炭素」を手放すことが出来ているか否か?出来ていれば「快」、そうでなければ「不快」と感じる「感覚」です。

 私、あいうらは、この「快or不快の感覚」をランドマークにする事で、「人」が「生命活動」を健全に行う為の「事前準備」であったり、「コンディショニング」として捉える事が出来ると考えています。なぜならば、全ての「生命活動」は、「一個一個の細胞」が作り出す「エネルギー」が出発点なので、「快い感覚」を持った「細胞」から放出される「エネルギー」は、健全な「心とカラダ」として表現されると考えるからです。ただ、また、残念な事に、「人」は「無意識で無関心な呼吸」を行っても「本質的な感覚」は得られません。つまり、「細胞のホンネ」を知る為には、「人」は「意識的に呼吸」をするしかありません。

 「細胞」一つ一つに「酸素」を届け、「二酸化炭素」を体外に排出する、という明確な意志を持って、ゆっくり確実な「深呼吸」を実践する事が大事です。すると、全身の「細胞」から「快く安全な感覚」と共に、リラックス効果、集中力向上、血行改善、疲労回復、ストレス軽減、自律神経の安定など様々なリアクションが届きます。「深呼吸」は、2、3度繰り返せば、1分後には「人」一人まるっと切り替わります。

 「人」の「心とカラダ」のコンディションが「一個一個の細胞」のコンディションと深く、強く、相互依存している事に気付けた時から、私、あいうら自身が実践するコンディショニングは、ほぼ「深呼吸」だけになりました。

ココロトカラダノワン“セル”論

〜一個の細胞(One Cell)から始まる秩序について〜

あいうら接骨院・鍼灸院
​院長 相浦 利孝

 日本は、今年、戦後80年を迎えました。いったい、あの戦争はなんだったのか?そして、なぜ、今も尚、どこかで繰り返されてしまっているのか?

 全ての物事の礎は、「人」であり、世の中の「現象」全て、「人」が作り出しています。だとするならば、複雑で愚かな「争い」という現象を作り出してしまうのも「人」です。「争い」は、だいたい「人」の「欲望や感情」が出発点であり、国家間であれ、個人間であれ、本来的には、ただの身勝手な主張の押し付け合いです。それぞれの考え方や価値観の相違がそれぞれの「秩序」となって存在する限り、「分断・対立」が生まれるのは当然な事で、全世界共通の「秩序」を議論する事自体が「分断・対立」を深刻化させてしまう。「争い」が繰り返されてしまう仕組みは、歴史が証明してしまっています。

 それぞれの「秩序」の上で、全世界人口分の「主義主張」があって当然です。その上で、人格形成に寄与する「健全な争い」は、むしろ必要です。ですが、「越えてはいけない一線」を越えてしまう「戦時下の争い」が果たして、「健全な争い」だと言えるのか?「日常の争い」の延長線上にあるのが「戦時下の争い」である以上、仕方がなかったなどと「越えてはいけない一線」を曖昧にすべきではないと思います。「一線」を越え、「人の道を終わらせる行動・行為」に結び付いてしまわない事こそ、「人」としての「最低限の秩序」だと思います。

 というのは、私、あいうらのただの「感想」です。

 その上で続けます。私、あいうらが考える「最低限の秩序」とは、「人の道を終わらせる一線を越えない」為の環境整備と捉えていて、心身のコンディショニングがそれに値すると思っています。もし、誰かが「加害者」になったとします。その「加害行動」は、「欲望や感情」が「理性」を上回った時に起こしてしまう行為なんだと思います。ただ、「欲望や感情」が「理性」を上回ったとしても行動に移さなければ、「加害者」になる事も無く、「被害者」を作る事もありません。

 私、あいうら、「一線」を越える「加害行動」とは、様々なストレスが心身のコンディションを崩した事による「バグ行動」だと捉えています。なぜならば、健全な心身状態から導き出される「行動」は、決して誤作動的では無く、理性的な行動として現れると考えるからです。健全とは、『血流・血行』や『生体電気』の流れが良い状態と定義します。心身が健全であるという事は、「人」の礎である「一個一個の細胞」が「健全な心」と「健全な行動」の元となるエネルギーを発電してくれているはずです。

 とは言え、「自分の心」を含め、「人の心」なんてフラフラ影響されやすい不確かな現象にすぎません。それでも「健全」でありたいと願うのであれば、一旦落ち着きましょう。数発、深呼吸して、先んじて「酸素」を「細胞」に届ければ、少しはマシかもしれません。

 「健全な精神は、健全な肉体に宿る」と「健全さは、受け取れるんだ」というニュアンスに思われがちな言葉がありますが、本当は、「どうか、健全な肉体に、健全な精神を与え給え。と祈るほうがいい」が正しいそうです。

 例え、「細胞」から始まる「健全なエネルギー」が「秩序」の原子となって、愚かな行動を止める事が出来なかったとしても、誰かに「それって、あなたの感想ですよね?」と言われたとしても、それでも「希望と祈り」を込めて、「戦争」のない世界を見てみたい。

ココロトカラダノワン“セル”論

〜細胞のホンネについて〜

あいうら接骨院・鍼灸院
​院長 相浦 利孝

 ドイツ出身の建築家が言いました。

「神は細部に宿る」

 また、サッカー元日本代表、岡田武史監督も強調しました。

「勝負の神様は細部に宿る」

 「良い作品」や「いい結果」を求める場面では、『細部にこだわりなさい』、『決して手を抜いてはいけない』といった力強いメッセージとして受け取る事が出来ると思います。私、あいうら、「細部」にフォーカスするという考え方に共感し、「人」というものの「細部」にこそ、「人間の真理」を見出せるんじゃないか?と考えています。

 「人」というものの構成要素は、「心」と「カラダ」です。

 先ず、「心」と「カラダ」の大元を辿ります。「心」は、数十兆個の「細胞」から発電・伝播される「電気信号」のネットワークによって生み出される現象です。発露元は「一個一個の細胞」です。「カラダ」も数十兆個の「細胞」が集まり、物体として形造られているので、どの部分を切り取ってフォーカスしても「一個の細胞」に辿り着きます。また、発生学的にも、分裂・分化の始まる前の出発点は「一個の細胞」となっています。「人」というものの大元は「一個一個の細胞」であると言えます。

 次に、「人」と「細胞」の活動について。「細胞」の基本活動は、「血流・血行」によって送られて来る「酸素」と「栄養」を利用して「エネルギー」を作り出す事です。この作り出したエネルギーは、基本活動に伴って出るゴミ、「老廃物」を「血流・血行」に排出させる時に使います。「人」で言えば、呼吸で取り込んだ「酸素」と食事で摂取した「栄養」を燃やし、「糞尿・汗」を排泄するエネルギーに変えます。スケールは違えど、「一個一個の細胞」は、「人」とほぼ同じような活動を全身で行っているのです。「人」と「細胞」が行っている活動は、「生きる活動」そのものです。

 「人の真理」に近付く為には、「人」の構成要素が「心」と「カラダ」であるとは言え、不確実で曖昧な「心」の部分は要りません。「人」が「心」に振り回され、一喜一憂するにしても、生きているという土台があればこそ。フォーカスした先の「細胞」は、淡々と「生きる活動」しかしていません。

 「生きる活動」において、当たり前の話ですが、特に「酸素」が無ければ、すぐに生死を分けるタイミングがやってきます。「細胞」に

「酸素」を届けるには、「人」が「呼吸」するしかありません。「酸欠細胞」の集合体は、調子悪そうな「人」です。深めの深呼吸を数発すれば、「酸素充足細胞」の集合体となって、ご機嫌な「人」として入れ替わります。本来、「人」は「酸素」に非常に敏感なのです。

ただ、低酸素に慣れがちの鈍感な状態においても適応し、献身的に活動してくれているのが「細胞」たちです。

 「細胞」からすると"しようがないかなぁ"とも"まぁいいか"とも思っていないのが「ホンネ」でしょう。我々の中には、ただただ役目をはたすだけの実に神々しい「細胞」たちがたくさん居ます。

 「人」というものの「細部」では、「神々しい細胞たちのホンネ」が聞けた気がします。

思い巡らす心とカラダの
コンディショニング

あいうら接骨院・鍼灸院
​院長 相浦 利孝

~そもそも論を巡らせば~

 『病は気から』

 『病』は、一般的に様々なストレスが原因と言われていますが、私、あいうら、ストレスは原因になる前の要因であって、それを処理し切れない、ストレスを受ける側に原因があると捉えています。

 『物事』は、捉え方次第であるならば、『病』も捉え方次第です。

 『物事』をどう捉えるかは、最終的に自分のジャッジによって成り立っていて、本質的に誰かがジャッジするものではありません。また、『病』も、要因となるストレスを処理出来るか?出来ないか?は、自分の処理能力次第なので、誰かが処理してくれるものではありません。『物事』や『病』の成り立ちから考えても全て、『自分』次第です。

 であるならば、『物事』や『病』の捉え方は、自身の健全な心とカラダのコンディション次第です。

 なぜならば、健全な心とカラダの状態から導き出される捉え方こそ、根源的で健全だと考えるからです。健全とは、心身が穏やかで心地よく、安心・安全だという感覚、体感が得られる状態と定義します。つまり、生きとし生けるものの根源的な『癒し』の状態です。

 私、あいうら、この根源的な『癒し』の感覚、体感こそが、『物事』や『病』を健全に捉える上でのセンターピンだと確信しています。

 私、あいうらが思い巡らせたコンディショニング法が、

①カラダを温める!②カラダを動かす!③深呼吸をする!④よく寝る!プラス①天然塩を使った塩水を飲む!です。どこを切り取っても、『血流・血行』や『生体電気の流れ』が良くなり、心とカラダの『癒し』を体感する事が出来ます。

 人生において、知識や経験、環境などの後天的な要素が積み重なり、協調と忖度が過ぎると感情的ノイズが生まれてしまいます。そもそも『物事』や『病』として起こっている現象なんて全て、自分勝手に自家発電しているものです。勝手に騒いでいるだけです。人間なんてそんなもんです。

 根源的で健全な心とカラダの状態がセンターピンだった事も見失いそうになったら、『癒し』へのコンディショニングに一点集中です。心とカラダのコンディションが担保出来てさえいれば、『物事』や『病』の浮き沈みも人生の彩りとして捉える事が出来るはずです。

 『病』なんて、気分次第です。

思い巡らす心とカラダの
コンディショニング

あいうら接骨院・鍼灸院
​院長 相浦 利孝

④寝る・睡眠

 心とカラダを効果的に「癒す」には、効率良く「寝る」のが良いです。
 先ず、心とカラダの「癒し」の状態と「睡眠」状態を定義すると、心身が穏やかで心地よく、安心・安全な状態、つまり、リラックス神経優位(副交感神経優位)の状態であるといえます。リラックス神経優位の状態は、『血流・血行』や『神経伝達』が促進されて
おり、頑張る神経優位(交感神経優位)で傷付いた細胞の
「再生、修復」が活発になります。「睡眠」時は、リラックス神経優位である事によって、細胞の「再生、修復」が活発に進む、コンディション回復に最適な時間と言えます。
 ただ、私、あいうら、「睡眠」時間を十分に確保すれば良いと
いう概念は、忘れた方が良いと考えています。なぜならば、細胞の「再生、修復」は、「睡眠」時に活発なだけで、覚醒時も常に継続して行われているからです。であるならば、覚醒時も常にリラックス神経を優位に働かせ、心身穏やかな状態にある事に努めていれば、頑張る神経の暴走によって傷つく細胞も減り、「睡眠」時に
「再生、修復」にかける時間が短縮され時間効率が上がります。また、「再生、修復」に費やすエネルギー消費の観点からみても、「睡眠」時に拘らず覚醒時にも延べて分散消費が出来る事から、「睡眠」時のエネルギー効率も格段に上がります。
 私が思う、心身の「癒し」の考え方として、そもそもの心身への負担を減らしておけば、「睡眠」時間に囚われず、「睡眠」の効率性に繋がり、トータル的に「癒し」の効果があるんじゃないか?と

リラックス神経が「善」で、頑張る神経が「悪」と言っている訳ではありません。どちらも適度に働く事により、『血流・血行』や『神経伝達』は促進されます。しかし、度を超えた働きをすると心身の負担と
なります。判断基準は、心身が穏やかで心地よく、安心・安全と
感じているか否かです。実に感覚的な体感が肝です。『血流・
血行』や『神経伝達』は良くなっているか?リラックス神経と頑張る神経が適度に働いているか?は、心身が穏やかで心地よく、安心・安全だと感じ取る主観的感覚でしかありません。この感覚を初期設定とし、日々、持続に努める事が効果的な「癒し」に繋がり、より効率的で質の高い「睡眠」を迎える事が出来ると考えます。
 いざ!「睡眠」モードに向かう時に、オススメする前準備ポイントをご提案します。①カップ一杯のお塩を溶かしたお風呂で暖まる。②股関節、肩甲骨周りを動かす。③約1%の塩水を飲む。
 いずれも、『血流・血行』や『神経伝達』が促進され、リラックス神経が優位に働きます。心身が穏やかで心地よく、安心・安全な中で訪れる「睡眠」は、コンディション回復に最適な時間になると思います。
 もうワンステップ。「安心・安全」を体感する事にフューチャー
すると、究極、生命の危機を脱した時に感じる感覚ではないでしょうか?極限まで、息を止めてみてください。「死に目」を疑似体験
してみましょう。酸欠の不安や恐怖から脱した時、「呼吸」出来る有り難みや「命」の尊さの一片を感じる事が出来ると思います。
 当たり前にある「呼吸」や「命」の有り難み、尊さを知り、感謝
し続ける事が、心とカラダの「癒し」、コンディションニングの原点
なんじゃないかと、私、あいうら 、思い巡らしています。

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©︎freepaper_second
顧問弁護士:ことまる法律事務所
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