情報紙 SECOND
SECOND Column Page
ラーメン外伝130
最終回
〜映画「ラーメン侍」幻の脚本(18)からの続き〜
大砲ラーメン 店主 香月 均史
座りながら頭をかくマサオの二の腕には、刺青が見えた。いや、見せようとする仕草だった。昇はそんなものには目もくれず、マサオの前にコップを置き、一升瓶の酒を注ぎながら言った。「お前はこの一杯で帰れ。そして、もう来るな」
マサオは三白眼で昇を睨んだ。屋台の空気が重く淀んだ。「のぼっしゃん、そんじゃこれで」
稲富は小銭をカウンターに置いて、二人をちらりと見ながら、のれんをくぐり出た。焼き鳥席では、きなこ相手ににこやかに飲んでいた二人の男性客も、この空気から逃れるように帰ろうとしている。端午は焼き鳥を返しながら、マサオの方を見つめている。
マサオは置かれたコップ酒を一気に飲み干すと、袖をめくり、大きく露出した牡丹の刺青の腕で唇を拭きながら、低い声で言った。「のぼっしゃんも、昔の舎弟には冷とうなったね」マサオは百円札をコップの下に置いた。「釣りはいらん」
マサオは暖簾をくぐり出た。それを追うように端午も外へ出た。
昇は、コップの下の二つ折りにされた百円札の折り目から、かすかにはみ出た白いメモを見た。昇は右手に空コップを取り上げ、それも嘉子に渡しながら、左手で百円札とメモを素早くわしづかみにして、前掛けのポケットに押し込んだ。嘉子はそのメモに気づいていた。
屋台から少し離れた歩道では、端午とマサオが向かい合っている。あごを上げ、見下ろすようにマサオが言った。「ダンゴ、今度はお前がのぼっしゃんの舎弟や?」
端午は肯きもせず、マサオを睨みながら言った。
「マサオしゃん、何の用か知らんばってん、昇のアニキには近づかんでくれんですか」
「ほう、俺に指図や?お前もえろうなったね・・・またにゃ」
マサオはネオンの中に消えていった。
・・・と、ここまで書いた時点で映画の撮影スケジュールの都合により、続きは脚本家の我妻正義氏にバトンタッチすることとなった。映画(Amazon prim videoで配信中)をご覧になった方はお気づきと思うが、私の脚本はいくつかのシーンで採用されたものの「あらすじ」は大きく様変わりし、まさに「幻の脚本」となった。このコラムで一年半に亘ってその脚本を掲載させていただいたのも、幻のまま埋もれて消える前に一度陽の目を見せたかったからである。読者には「幻の脚本」を通して、戦後久留米のラーメン黎明期というべき時代のエネルギーを感じてもらえたなら幸甚である。
さて唐突ながら、この「ラーメン外伝」は今回を以て最終回とさせていただきたい。
私のコラム執筆は一九九九年の第一回ラーメンフェスタに併せて始まった。以来二五年間、地元二誌(くるめすたいる・Second)で通算二七六話を書かせていただいた。
この稿を借りて二誌に深く感謝を申し上げたい。
豚骨ラーメン発祥地・久留米を全国に発信することで、地域活性化の一助としたいという思いで、この四半世紀、微力ながらさまざまな活動を行なってきた。
今や後進も育ち、「ラーメンのまち久留米」という認識もそれなりに全国に定着したと感じる。従って私自身もそろそろ一区切りしたいという考えに至った。
またいつか、スポット的にコラムを書かせていただくこともあるかもしれない。
その日まで読者の皆様もお達者で。ありがとうございました。
ラーメン外伝129
〜映画「ラーメン侍」幻の脚本 18〜
大砲ラーメン 店主 香月 均史
〜前号からの続き〜
屋台は、いまや全国に誇れる*久留米と博多の名物であり、まちの貴重な観光資源でもある。暖簾をくぐると、客と主人、また客同士の距離感がない。知らぬ者同士がすぐにうち解け合うことのできる温もりの空間である。
ところが平成六年、福岡県警は昭和遺産というべき〈屋台〉を自然消滅させるべく「道路使用許可は現営業者一代限りとする」という方針を打ち出し、その権利の売買はおろか、子への譲渡すらも禁止した。かくして、このまちの夜の風物詩でもある屋台の灯は確実に消えつつある。屋台という、戦前から続く愛すべき庶民文化を、誰が何のために消し去ろうとするのだろうか。
飲み干したコップ酒をカウンターに置いた稲富、いつもの恵比寿顔がやや神妙な顔になっている。「のぼっちゃん・・・やっぱしここの立ち退きはしょんなかばい。国鉄駅前に並びここ西鉄駅前は久留米の玄関口やろ、役所としてはその駅前の目抜き通りが未だ穴だらけのコンクリート製やけん、コレば流行りのアスファルトにせにゃいかんげな。ついでにこの銀行前の歩道も拡張して久留米の玄関前らしくするっち。この計画は前の議会で可決しとるし、屋台の道路使用許可を管
轄しとる警察署もコレに同意しとった。新人議員の俺ひとりのチカラじゃ、もうどうにもならんとこまできとった・・・」
昇は黙って聞いているが、さすがに動揺しているようで、珍しく不安な顔をしている。嘉子の方がかえって肚の据った表情だ。
そこへ若い男の客が入ってきた。二十代後半のその男は、眼光鋭く頬に短い傷がある、上着は肩に掛けただけの絵に描いた遊び人風である。男は周囲を上目使いに見回しながら座ろうとした、そのとき焼き鳥を焼いている端午と目があった。ふたりの動きは一瞬止まった。すかさず昇が男に言った。
「マサオか」男は上目使いのまま昇に向き直り、小さく頭を下げた。「のぼっしゃん、ごぶさたです」「ラーメン食いに来たとか?それとも何かハナシか?」 「いや・・・ただ、のぼっしゃんの顔ば久方ぶりに見とうなって」
歪んだ笑みで男が言った。昇の目が鋭く光った。
「そのツラ・・・、とうとうお前もホンナモンになってしもたな」
「いやァ・・・はい」
〜次号へ続く〜
*令和6年現在久留米の屋台は絶滅状態
ラーメン外伝128
〜幻のラーメン17〜
大砲ラーメン 店主 香月 均史
シーン18 立ち退き
太った男の脂ぎった顔が、電気屋のテレビの画面一杯に写っている。その男は満面の笑顔でわめいている。
「このイナトミ、皆様のお陰で当選いたしました!今後は不肖イナトミ、全身全霊、一命を賭してこの久留米のまちのために・・・」画面では稲富の顔を遮るようにレポーターが登場。
「先日の公職選挙法違反事件により穴の明いた議席を埋める形で、繰り上げ当選を果たした稲富太郎氏の談話でした」電気屋の前でテレビを見ていた昇は、リヤカーを引き始めた。夜、屋台にはテレビと同じ脂ぎった満面の笑顔がいた。
「のぼっちゃん、アンタのお陰ばい!得票数は山田と俺は一票差ばい!一票ばいイッピョウ!のぼっちゃん、あんたのその一票がなかったら、俺はシマエとった。カアチャンにも逃げられとった」
昇は黙ってうなずきながらコップに酒をついでいる。
* (光)『実は父ちゃんは今回も含め、生まれて一度も投票に行ったことがありません』
昇は稲富の前にコップを置いて言った。「祝い酒たい」「ありがとうのぼっちゃん。あんたにはいつも助けられるのォ」カウンターに両手をついて頭を下げた稲富は、そのままコップ酒の表面張力に口を運んだ。洗った丼をふきんで拭きながら嘉子が言った。
「ところで稲富さん、役所の方では、このあたりの屋台を立ち退かせようという話になっとるって本当ね?」酒を飲み干した稲富は、コップを置き、袖で口を拭きながら答えた。
「うーん、そうみたいやね・・・」すかさず嘉子は、やや詰め寄った。「議員さん、あんたの力でどげんかならんね?」稲富は当惑しながらも気の毒そうに言った「頑張ってはみるばってん・・・時流というやつにはかなわんよ」拭きかけの丼を置いて、嘉子は身を乗り出した。やや興奮している。
「時流っちゃ何ね?爪に火を灯して働く者ば払い除けるのが時流ね?」「もういい」昇は静かに嘉子を制した。
春の長雨がここ二、三日続いていた。雨空から見下ろせば、路地裏に二つの黄色い傘がもつれ合うように歩いている。光とその友人である。小綺麗な格好をした裕福な家育ちの友人が言った。
「本当に家の中にキノコなんて生えるの?信じられないよ」「ウソじゃなか、まあとにかくウチにおいで」二つの黄色い傘は長屋の前で止まった。「ここが僕ん家、上がらんね」光の誘いに友人は呆然としている。「ここが君ん家?上がれって・・・玄関は?」「ゲンカン?入り口のこと?それならここがゲンカンたい」
光は古いガラス戸をガタガタと開けた。友人が恐るおそる光の後に続くと、そこには上がりがまちに片足を置いて、吽形の顔で生肉をさばいている昇の姿があった。昇の白い前掛けには肉の血液があちこち付着している。光の友人は立ちくらみを覚えた。それでも友人は遠のく意識と戦いながら、親の躾どおりの挨拶を実行した。「こ、こんにちは、ぼ、僕は藤田純一郎です」
牛刀を向けながら昇は言った。「光んダチか?」藤田純一郎は気を失った。
数分後、光と純一郎は並んで、腐った畳に生えた一本の白いキノコに顔を寄せている。目を丸くした純一郎はつぶやいた。「すごい・・・本当にキノコだ。本物だ」光は自慢気な顔をしている。そこに嘉子が、粉末ジュースの入った欠けた湯飲みを運んできた。振り返った純一郎は興奮しながら嘉子に言った。「あ、ありがとうございます。おばさん、それにしてもすごいですね。お家の中にキノコが生えるなんて!」
嘉子は昇と目を合わせ、うつむいた。大人の心情など解らぬ純一郎は饒舌になった。
「僕ん家なんか大理石のリビングにも、そこにあるグランドピアノにも、どこにもこんな美しいキノコなんて生えていない!」昇と嘉子は一段とうつむいた。
「なんて素晴らしい、そして珍しいお宅なんだ!」昇と嘉子の顔は赤くなった。
長屋の外。道行く人が足を止めている。果てしなく続く純一郎の感嘆の叫び声・・・。
「ああ素晴らしい!さらにカゴの中には白いネズミが飼われているけど、狭い二段ベッドの下には黒いネズミが放し飼いにしてある!」
昇はつぶやいた。「嘉子・・・引っ越したかぁ」
ラーメン外伝127
〜映画「ラーメン侍」幻の脚本 16〜
大砲ラーメン 店主 香月 均史
シーン16 雑食
筑後川の堤防に、菜の花の黄色い絨毯が敷き詰められた。春の陽を浴びた川面が、柔らかに光っている。
堤防の上を昇と光を乗せたスーパーカブ(バイク)が土煙を立てながら走っている。それは新車である。二人は筑後川の小さな支流である高良川の源流を目指している。
* (光)『父ちゃんは僕を川遊びに誘って くれました』
カブは山あいの林道の轍を避けながらヨタヨタと走り、やがて小さな谷川に着いた。「光、ここにゃあ沢ガニやホウジャ(カワニナ:小型の巻き貝)がいっぱいおるぞ」冷たく、清らかなせせらぎで光は水遊びをはじめた。「光、ホウジャを捕れ」
昇はせっせと川原の石でカマドを作り、枯れ木や流木の焚き火の上に、川の水を入れた飯盒を乗せている。それが沸騰すると、光が獲ったカワニナと一つまみの塩を放り込み、一煮立ちさせると〈カワニナの塩ゆで〉が出来上がった。「食べ方ば教えちゃる」昇は細長い円錐状の貝の頭を五円玉の穴に差し込み、頭の先をポキリと折り。その折れた殻の頭に口をあて、ちゅるりと中身を吸い込んだ。何とも野趣あふれる食べ方である。「うん旨い、お前も食え」光も見よう見まねで食べはじめた。意外と美味であった。
すると昇は川の中の石をそこら中ひっくり返して、沢ガニを捕りはじめた。光がそれも煮るのかなと思いきや、あろうことか、そのカニを生きたまま口に放り込み、バリバリと食べはじめた。昇の唇からはカニのハサミが出てる。そのハサミはまだ動いている。光が驚きと恐怖で見つめていると、オヤジはそのハサミを指でヒョイと押し込み、何食わぬ顔(食ってるくせに)で生きた沢ガニを平らげてしまった。
* (光)『父ちゃんの場合、食べ物の好き 嫌いが皆無というより、イノシシのような雑食人間でした』
その夜の屋台。外では選挙カーの声が聞こえる。「ワタクシは久留米市議会議員立候補のイナドミ、イナドミタロウでございます。はい弾丸ラーメンとキンタマ焼き鳥の皆様、大変お疲れ様でございます。イナドミでございます。のぼっちゃーん、元気のー?イナドミば頼んどくばーい。わーはっは」カウンターの山村が言った。「稲富さんはまた出るばいの。今年落ちたら二連敗ばい。懲りんのぉ。ところでのぼっちゃん、さっきからせっせと何をむしりよると?」スズメの羽たい」「へぇ、どこで捕ってきた?」「隣のタマからもらった」村山はあきれた。「そら猫から横取りしたとやろうもん」
昇はとぼけた顔で答えた。「猫のくせに俺の前で自慢そうにスズメをいたぶりよったけん、俺がスズメを助けてやったったい」昇は隣でせっせと焼き鳥を焼いている端午に声をかけた。
「おーいダンゴ、ほら、これを焼いてくれ」羽をすっかりむしり取られたスズメを端午に放り投げた。端午はそれを受け取り、黙々と焼きはじめた。
* (光)『父ちゃんはイノシシというより プレデター(捕食者)でした。獲物を横取りされた隣のタマは家出したそうです』
「イナドミタロウでございます」再び選挙カーがやって来た。一段とスピーカーの音量が増している。
「のぼっちゃ〜ん、ほんのこつイナドミば頼んどくば〜い。今度落ちたらウチのカミさん出て行くげな〜」
ラーメン外伝126
〜映画「ラーメン侍」幻の脚本 15〜
大砲ラーメン 店主 香月 均史
シーン15 運命
目前に二つの手の平が差し出された。山村と端午のものである。「きょうも視てください!」声を揃えて二人一緒に手を突き出された清美は困惑している。すると突然屋台の中から昇のどなり声が聞こえた。通りかかった石焼き芋屋は腰を抜かしながら足早に逃げ去った。
昇はカウンターの上台を叩きながら、久々に阿形の顔になっている。二人の男たちは顔面蒼白で固まっている。
「俺はにゃ、この屋台に命を賭けとるったい!それをやめろだの、立ち退けだの、お前らは昼は役所の机でてれっと鼻くそホジっとるだけで給料もろうて、夜は酒飲んでさるき回っとるだけやろ!俺たちゃ夜中まで命張っとるんぞ!泣く子も黙るウシミツドキまでぞ!」
* (光)『それを言うなら〈草木も眠る〉でしょ』
二人の男は鞄を小脇に抱えて、そそくさと退散した。昇は二人の背中に啖呵を切った。
「あさって来やがれ」
*(光)『・・・・』
「何が歩道の整備だ、駅前開発だぁ、新年早々、最初の客がアレか、胸くそ悪か」昇はコップに酒を注ぎ、一気に飲み干した。「でもねぇアンタ、その話、もう役所で決まったんやないと・・・」心配気な嘉子に昇は言った。
「バカタレ、そげなコツは勝手に決めさせん。俺でっちゃ清き一票の持ち主ぞ。役所に勝手なコツぁさせん」
嘉子はつぶやいた。「ばってん、こげな屋台の運命っちゃ・・・はかないもんかも・・・」昇は二杯目の酒を注いだ。
そんなところへ、山村と端午が揃って暖簾をくぐって来た。なぜか二人は目を赤く腫らしている。「どうしたお前たち?デヤし合いでもしたか?」「アニキ。聞いて下さい」端午は潤んだ声で語りはじめた。「清美ちゃんはカワイソウなんですよぉ」「ああ、あの手相の姉ちゃんか?」「そう、その手相の清美ちゃんは・・・」
道頓堀の角で、清美は二人の手をそっと降ろしながら言った。「私には主人がいました。でも、主人は私が身籠もったときに病気で亡くなりました・・・。そのとき私は決心をしました。主人の面影だけを胸にしまい、お腹の子をひとりで生んで、ひとりで育てるって・・・そして男の子が生まれました」屋台のカウンター越しに山村は涙声で言った。
「そんでね、のぼっちゃん、その子がね、その男の子はね・・・、七歳のときに交通事故で亡くなったげな・・・、あんまりやろ?・・・悲しすぎるばい」清美は涙ぐみながら、それでも無理に笑みをたたえて言った。「・・・だから、光くんを見るたびに・・・息子を・・・」
−(回想)清美は光を見つめながら
「光ちゃんはすくすくと育ちますよ。やがて大きくなって、きれいなお嫁さんをもらって、かわいい赤ちゃんが生まれて・・・」清美の瞳は潤んでいた。そして人の運命って・・・いったい何だろうって。そして私は占いの勉強をしました。わずかでもその運命ってものを理解したかったから・・・。人の一生の筋書きを書く神様がいるとすれば、その神様に少しでも近づいてみたかったから・・・」
翌日、山村と端午は道頓堀の角に立っている。そこに清美の姿はなかった。その翌日も、そのまた翌日も、清美は現れなかった。
*(光)『山村のおじちゃんとダンゴ兄ちゃんの恋も、はかない運命でした』
やがて冬は終わろうとしている。道頓堀の角には清美の姿も、山村たちの姿もなく、そこの日だまりには、一輪の白いタンポポが咲いていた。